ヤンキース時代の松井さんは、日本での評判と同様に、
米国のマスコミからも大変好意的な評価を得ていました。
入団当時、ニューヨークタイムズは、こんな記事を掲載しています。
「日本のスターだというのに、いつも静かに会釈をしてクラブハウスに入ってくる。
普段の生活でも周囲の人を楽しませようとしているようだ」と、
松井さんの礼儀正しさ、謙虚さに焦点を当て分析しています。
ニューヨーク・ポスト紙は「松井に見習え」という見出しの記事を掲載しました。
「ニューヨーク・ニューズデー紙」の記者からは、
ある日本の団体にこんな問い合わせがありました。
「コンプレイン(complaint)」は日本語でどういうのかという質問でした。
団体職員は、「苦情」だと答えました。
そして出来あがった記事はこうでした。
タイトルは「ミスター・ナイス・ガイ」
「松井は、極めてナイス・ガイである。
なぜなら、松井はけっして苦情を言わないからだ。
日本語にも“クジョウ”というコンプレインを意味する単語があるが、
松井には無縁だろう」
まだまだ松井さんを賞賛する声は、数多くあります。
ただ、現在ではこの報道はよく知られていますが、
長らくマスコミには、オープンにされなかった松井さんの善行です>>>
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松井選手は隠れた善行を行っていました。
ベトナムの子供達を里親として支えていたのです。
松井選手の父親、昌夫さんが十数年前、ベトナムの小学校で野球を教えたのが
“里親”のキッカケでした。
ベトナムでは優秀で勉強する意欲があっても、
貧困など家庭の事情で勉強を断念せざるを得ない子供が多いのです。
松井さんは、そんな状況を父親から聞き、援助を決めました。
松井さんの、渡米から現役引退までの12年間で、
里親になっている子供たちは20人。
子供達は、松井さんからの里親としての援助により、
家事や労働をしないで学校に通うことが出来ました。
松井さんの実家には、年に一度子供たちからお礼の手紙が届きました。
子供たちは、当初、松井さんがプロ野球の選手であることも、
大リーグで活躍していることも、松井選手の顔、性格も何も知りませんでした。
後年、その里親が誰なのかを知ることになり、松井さん引退のときには、
一人の少女が次のような手紙を寄せました。
「松井さんの活躍のおかげで多くのベトナムの子が助かりました。
本当に感謝しています。お疲れさまでした」