元女子マラソン選手で、日本におけるプロランナーの草分けと言ってもいいでしょう。
有森裕子さん。
バルセロナ五輪で銀メダル、アトランタ五輪で銅メダルを獲得しました。
銅メダルを獲った時の言葉、
「初めて自分で自分をほめたいと思います」
は、よく知られています。
この人は、もともとマラソンランナーの素質に恵まれてる人ではありませんでした。
幼い頃は、あまり身体が丈夫ではなく、特に股関節に持病を抱えていたのです。
しかし、自分の弱さを克服したいと、敢えて高校で陸上部に入りました。
そして、走ることの楽しさに目覚めてしまった彼女は、
何とかずっと陸上を続けたいと、強く思うようになりました。
高校卒業後も、ずっと走ることを続けたい、
・・・だけど、実績の無い彼女を受け入れてくれる実業団などありませんでした。
そんなところに、友人からリクルートという会社で陸上部を作るので、
部員を募集しているみたいだよ、という話を聞かされたのです。
とにかく、情熱だけは負けないと、有森さんは面接に向かいました。
陸上部の監督は、当然、過去の実績を尋ねます。
「国体やインターハイでは何位だったの?」
「あの、出てません」
「・・・ああそう。じゃあ県での駅伝の成績は?」
「3年間補欠でした」
監督は、さらに話を聞いて驚きました。
有森さんの持っている記録は、
普通の陸上部の高校生のレベルにも達していなかったのです。
これでは、入部が断られるのも無理ありません。
当然、断られたのですが、彼女は何度も何度も電話をかけ続けました。
実績もない一少女がなぜ、それほどまでに、
あきらめることをせず、食い下がることが出来たのでしょうか?
それはひとえに、有森さんが、
走ることの「楽しさ」に目覚めてしまったからなのです。
楽しいことだから、それを続けていたい、
その素朴な熱意も、あきらめさえしなければ、
やがて門が開かれる、ということでしょうか。
ある日の電話で、有森さんは、受話器の向こう側の監督に向かって、
勝負を賭けたような言葉を投げかけます。
その言葉こそが、相手を動かし、
また自分をも駆り立てることになったのでした>>>
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有森さんの勝負の言葉です。
「私は、オリンピックに出たいんです。
そのためなら人の何倍も、
どんな練習にも耐えられます」
監督は思いました。
何の才能もない女の子がオリンピック?!
それは面白いじゃないか。
事態が動きました。
有森さんのリクルート陸上部の入部が決定したのです。
そして、無事陸上部に入部できた有森さんは、すさまじい努力の末、
やがて、オリンピック出場の夢を叶えることができました。
出場するだけじゃなく、マラソンで五輪2大会連続メダル獲得という
初の快挙を成し遂げてしまったのでした。
最初の入り口(リクルートの面接)で、あきらめなかった有森さんは、
素晴らしく偉いと思います。
「だけど」というか、あるいは、「だからこそ」というべきか、
まるで弱いランナーの有森さんを選んだ監督とのめぐり合いは、
有森さんの「運の強さ」かもしれません。
有森さんを入部させたその監督、彼こそが、
後に高橋尚子さんも育てた小出義男監督だったのです。