今から70年ほど前、戦後間もないころの普通の家庭でのお話です。
姉弟のお父さんが60歳の若さで亡くなりました。
お父さんは、営林局の印刷部で責任者として働いていました。
お父さんをお見送りし、初七日も終わらぬある日、
お父さんと日頃交流のあったKさんが来られました。
「実はお父さんにお金を貸してある。
できれば早いうちに返してほしい」と言われました。
突然のことで姉弟はあ然として、
「借用証など探して、後日お返事します」と言うと、
Kさんは、書類などは一切作っていない。
お父さんに信用貸ししていた、とのことです。
でもメモでもあるかと思い、
一応その日は帰っていただきました。
几帳面なお父さんでしたから、何か残した書付けなどあるだろうと、
方々を探しましたが、Kさんのものは見つかりませんでした。
ところが、意外なことに遺品の中から、
Mさんという資産家の方にお借りした借用証が出てきました。
それも当時としては大金の五万円余りでした。
お父さんがどうしてそのような大金を借金していたのか、
姉弟は全く見当もつきません。
そして、Kさんよりもむしろ、
この何も言ってこないMさんの借金をどうしても
早くお返しせねばと、皆で話し合いを持ちました。
先々の姉弟の生活に不安はあるものの、
今、お返ししなければ、いつ誰が返せるという見通しもありません。
お父さんの退職金もある今、お父さん自身のお金でお返しする方が、
亡き父の意思であるだろうと結論づけました。
姉と弟の二人で、借用証と共にMさん宅へお伺いしました。
「本来なら利子もお付けしてお返しすべきですが、
元金のみで申し訳ありません。どうかお納めください」
と両手をついて差し出しました。
Mさんが答えて言いました。
「いま一家の大黒柱を急に失い、しかも弟さんは学生の身、
これからが大変と思う。いまこの金を返さずとも私はよいから、
これから何年先でもよい、返せる時に少しずつでもよい」
と言って受け取ってくれません。
でも姉弟は二人でお願いしました。
「これは父のお金であって、私たちは父の代理として
お持ちしました。いまお返しせねばいつ返せるか、
そしたら父もいつまでも悲しみます」
そしたら、Mさんは奥さんに何かひと言耳打ちし、
奥さんがやがて筆と墨を持ってこられました>>>
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Mさんは、姉弟の持ってきた包みを受け取り、
そして、確かにいま全額お返しいただいたと言いました。
借用証をその場で破ったMさんは、金額を改めることもなく、
包みの上に「御仏前」と大きく書いて言いました。
「これはお父さんの四十九日のお祭りの費用の一部に使ってください」
そして、
「あなたたちはこれから色々の苦しみや
悲しいことに出会う日もあろうが、どうぞ今のこのきれいな気持を
忘れず正直に、お父さんに負けぬような人生を送ってください」
と言いました。
またお父さんは、自分のために借金したのではない、
新しい発明の研究の費用としてのお金であったことも
話してくれました。
姉弟は、家族皆がまったく知らない父の一面をこのとき初めて知り、
Mさんご夫婦の大きいお情けと心の広さにただただ感動して、
何度もお礼を申し上げ帰りました。
姉弟は、Kさんからのお金も言うままにお返ししました。
信用でお貸し下さったのなら、書類がなくても
それを信じてお返しするのが、人間として当然と考えたからです。
それはMさんから教えてもらった生きる姿勢かもしれません。
お父さんの死後、数ヵ月してお父さんの考案した
新しい印刷機械の特許が下りました。
お父さんは、それを見ることは出来ませんでしたが、
発明が認められたことは何よりの供養でした。
また姉弟は、発明に伴うお金の出所を知り得てよかったと思いました。
そこから「お金への処し方」という大きな遺産を
いただいた気がしたからです。
参考本:「心にしみるいい話」
全国新聞連合シニアライフ協議会編「父の借金」を下敷きにしています。