父さんの不器用なお弁当が忘れられません

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が父親と二人暮らしをしていた頃の話です。

うちの父親は酒癖、女癖、ギャンブル好きと、
好き勝手三昧の父親でした。

もちろん、そんな父親に母親は愛想をつかして離婚。

父親はいつも遅く帰って来ました。

だから食事はいつも私一人でした。

そんなことが続いていたある時、
学校で運動会の季節になりました。

当時の小学校では、運動会の昼休みの休憩時間に、
家族で一緒に昼食をとるのが当たり前の風景でした。

その時の運動会には、いつも来てくれる母親が、
前日に急な用事で来れなくなってしまったのです。

運動会当日、朝起きて、父親が大いびきで寝ているのを横目に、
私は学校へと向かい、途中、コンビニで昼食の弁当を買いました。

そしてお昼になり、周りの友達がみんな家族のもとへ、
楽しそうに食事をしに行くのを見て、私は場所探しをしました。

どこか人目のない所の方が居心地が良かったから、
出来るだけ、みんなから離れた場所にいました。

その時、後ろから誰かに肩を掴まれました。

後ろを振り向くと、近所に住む友達でした。

家の環境も知っており、
私も一緒に食べようと誘ってくれたのです。

私は言われるままに、その家族と食事を共にしました。

本当にありがたかったけど、
その友達の両親兄弟の団らんの中にいると、
ますます孤独感がつのったのは正直な気持でした。

家に帰ると、父親はまだ寝てました。

まぁ普段からこんな感じなので、特に腹立ちもしませんでした。

そして夕飯をとろうとリビングに行った時です。

思いがけないものが、私の目に入ってきたのです>>>

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の目に入ってきたもの、

それは、テーブルの隅に無造作に置かれていた
手作りの弁当と水筒でした。

母親が作り、持ってきてくれたのかと思い、
電話で確認しましたが、知らないと言います。

弁当の中身を見ると、確かにいつもの母親の手弁当ではない感じです。

とてもじゃないけど、おいしそうとは言えない、
見栄えも悪い弁当でした。

私はそこでやっと気がつきました。

父親が弁当を作ってくれていたのです。

その後、分かったことですが、
父は、母が運動会に来れないのを知り、
慣れない手で弁当を作ってくれていたのでした。

父は、私の運動会に、その弁当を持って来てくれたのですが、
私が友達の家族と食事をしているのを見て、
そのまま帰ったとのことです。

自分が出て行ったら、きっと私が恥ずかしがるだろう、
などと思ったそうです。

私は、そのことを後日、親類の話から知り、涙が出てきました。

父親の不器用な弁当を、その日の夕飯に食べましたが、
その時にそんな経緯を知らずとも、
わけもなく涙をポロポロ流しながら食べた、当時の私でした。

参考本:泣ける2ちゃんねるⅢ(コアマガジン)
「飲んだくれ親父がそれでも作ってくれた」を
下敷きにしています。

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