ごめん、おふくろ。我慢出来んかった

016
う20年以上前だが、
当時高校生だった兄が、ボロボロになって帰ってきた。

よくケンカをして、生傷の絶えない兄だったので、
別段めずらしいことではなかったのだが、
その日はいつもと違っていた。

何と、小学校低学年くらいの子供の手を引いて帰ってきたのだ。

祖母と母は最初は驚いたが、
その子供を見て、すぐに何があったか覚った。

兄が「ごめん、おふくろ。我慢できんかった」
と言うと、いつもケンカを叱りつける母だが、
その母もいつもと違っていた。

母は「後はおとなに任せなさい。ようやった」
と言うと、連れてきた子供を家に上げた。

実はこの子、近所でも虐待を受けていると言われていた子。

母親の再婚相手の男が「ヤ」のつく人らしい。
その父親から暴力を受け、ろくにご飯ももらえてないのか、
瘦せ細っていた。

当時の警察は、今よりも民事不介入とかで、
家庭内のことに消極的だった。
また児童福祉法も十分に行使されていなかったようだ。

その当日も、暴力を受けていたところに、
偶然、兄が通りかかり、大立ち回りの末、
子供を連れ出してきたとのこと。

しばらく後、虐待父がわが家に押しかけてきた。

かなり兄にボコボコにされた様子で、
顔はアザだらけだった。

慰謝料よこせとか、組が黙っていないとかの、
定番の脅しをかけてきたが、どういうわけか、
母と祖母は、いざとなったときの腹の座り方はただものじゃない。

わが家の女二人は、一歩も引かず、
ただ相手を何も言わず睨みつけていた。

後日、近所のおばちゃんが証言している。
「あれは般若の顔やった」と。

虐待父の大声に、近所の人々が集まってきた。

バツが悪くなったのか、女二人の迫力に気圧されたのか、
男は捨て台詞を残して退散した。

「必ず、この落とし前はつけてやるからな」

その後、母と祖母が、兄と子供の手当をしているところに、
祖父が帰宅した。

母と祖母、それに兄の話を聞き、
子供の傷を見ると、頭をなで、
「話をつけてくる」と、再び出て行った>>>

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つもはのんびりとして、
ニコニコ笑顔の祖父だった。

その祖父が静かに怒っているような、
怖い表情をしていた。

後にも先にも祖父のそんな表情を見たのは、
あのときが初めてだった。

祖父が出かけて数時間が経過。

母が心配して、警察に…
と言ってる間も、祖母は「大丈夫」と泰然としていた。

そうこうしているうちに、
「帰ったぞー」
と祖父の元気な声。

帰ってきての開口一番、
「今日からこの子はしばらくうちの子になったからの」

そう言うと、子供を抱き上げてニコッと笑った。

後日談だが、虐待父の関係する「組」の組長と、
祖父とは、何でも昔馴染みであったとか。

それ以上の詳しいことは、
祖父からも祖母からも聞かなかった。

結局その後、一年ほどその子は家で暮らした後、
前の父方の祖父母に引き取られていった。

最初、小学校低学年だと思っていたが、
実は小学校6年だと知ったときは、驚いた。

私より年上だったのだから。

…で20数年後の現在、その子は。

ドラマのような展開に驚かれると思うが、
何と兄の嫁となり、私たち家族のかけがえない一員なのだ。

近所では、兄は虐待されてた子供を助けたんじゃなくて、
嫁を連れて来たんだと今でもからかわれている。

参考URL:https://www.youtube.com/watch?v=DAsCoU21kHM

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