成績のことより、ただ元気でいてくれさえすれば…
という家族の配慮もあってか、
私はテストの点や成績を気にかけた記憶がありません。
ただ、テストについて忘れられない一つの思い出があります。
小学校二年生の社会のテストに、
「田の草とりはどんな日にするのか」の問題がありました。
私は、迷うことなく「くもっている日や雨の日」に印をつけました。
でも、後日返されたテストのその答えには、
大きな×がついていました。
正解は「天気のよい日」なのですが、
自分の答に自信を持っていた私は、
大きなショックを受けました。
小さい頃から祖父母に育てられ、体調さえよければ、
いつも祖母の後を追っていた私は、
祖母が田の仕事をする様子もよく知っていました。
おばあちゃんは、いつも曇った日や
雨の日に田に出ているのに、なぜだろう。
どうして違っているのだろう。
納得できない気持と同時に、
その問題で間違っていたのはクラスでただ一人、
自分だけというショックも重なって、
私は重い気持を抱えたまま帰宅しました。
その夜、私に優しく接してくれた祖父のこと、
このことがあったから、私は救われ、
その後、いつまでも心に残ることになりました。
その夜、テストを見、疑問を聞いた祖父は、
優しく私を膝に抱いてくれました。
そして・・・>>>
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そして、照りつける日差しは、元気のいい者には恵みになっても、
弱っている身体にはきついこともあるということを話し、
黙って、そのテストに百点をつけてくれました。
疑問は解けましたが、別の悲しみが私の心をおおいました。
誰も居ない小雨の日、ひとり田に出ている祖母は、
体が弱いせいでそうしているのだと知り、
そんな祖母の小さな細い体が哀れで、無性に悲しかったのです。
その後は、それまでのように無邪気に、
祖母が田で働く姿を見られなくなった自分自身を、
今でもよく覚えています。
それから十数年後、すでに成人していた私は、
古い教育雑誌の中に、当時中学校の校長だった
祖父の文章をみつけました。
そのときの私の出来事を説明し、
次のようなことが書かれていました。
「子供の行動には必ず原因があること。
教師は生活の中に根ざした子供の思いを知り、
その上で生きる力を育てていくように
しなくてはならないこと」
「特に成績がよくない子、体の弱い子
……とかく忘れがちになりやすい子にこそ目を向け、
子供たちの生活を見つめた指導をしていくことが
真の教育ではないか……」
私を慈しんでくれた祖父母はすでにいませんが、
抱いて百点にしてくれた祖父の膝の温もりと、
小雨の中、黙々と田の中で働いていた祖母の、
小さな後姿は、いつまでも心に残っています。
愛おしい祖父母は、故郷の懐かしい景色とともに、
変わらぬ笑顔で、私の中に息づいています。
参考本:心にしみるいい話(全国新聞連合シニアライフ協議会編)
「祖父がくれた百点」を下敷きにしています。