ある集会に参加していた私は緊急の呼び出しを受けました。
とっさに感じた不安は的中し、
息子が事故に遭ったとの知らせでした。
病院へ駆けつけ、目にした息子の左手は包帯が筒状に巻かれて、
短くなっており、すべてを悟りました。
家畜のえさを切るカッターに草を入れ、
左手を巻き込まれたとのこと。
応急処置を受け、わずかな望みをかけて、
医大へと救急車で転送してもらい、手術を受けました。
結果は切断面が複雑なこと、細かすぎることなどの理由で、
接合は不可能となり、単なる縫合手術に終わりました。
わずかな可能性にかけていた一縷の望みも絶たれ、
絶望の淵に落とされた思いでした。
つい先日まで積木で遊んでいた小さな手を思うと、
涙にくれました。
何とかならないか、精巧な義手はないかと、
遠くの病院まで連れて行くこともたびたびでした。
そんな中で、あるリハビリテーション付属病院のN先生の言葉は、
私に強い刺激を与えてくれました。
息子の診察をしながら、私たち親子の様子をご覧になり、
一抹の不安を抱いて下さったようです。
別室で子供を遊ばせながら、今まで診て来られた患者さんのことを、
具体的な例を挙げてお話し下さいました。
病気により、切断しなければ命の保証が無かった人、
先天的に障がいがあった人など、
今の自分より厳しい現実と闘っている人が
いかにたくさんいるかということを。
そして、先生は、ある重要なことを最後に話してくださいました。
今、精巧な義手を、最高の技術を駆使して作ることは、
お金さえかければ、それほど難しいことではないとのこと。
しかし…と先生は言葉を続けました>>>
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今、精巧な義手を、最高の技術を駆使して作ることは、
お金さえかければ、それほど難しいことではない。
しかし、果たして今の息子にそれが本当に必要なことか、
よく考えてみるようにと言われたのです。
最高の義手を作る前に、不幸にして障がいを持ってしまった息子を、
どんな人間に育てるかが、今問題ではなかろうかと、
優しく諭して下さったのです。
ハッと目が覚める思いでした。
自分の罪の意識から、少しでも精巧な義手を作ってやれば、
償いができると、心のどこかにあったのかもしれません。
N先生の指摘はまさにその通りでした。
二歳九か月のこの息子を障がいに負けず、強く生き、
豊かな人間性に育てることが、今一番大切なのだと、痛感しました。
ちょうどその頃、新聞に全盲の中学生が弁論大会で優勝し、
その要旨が掲載されました。
自分が目の不自由なハンディに負けそうになった時、
母親の育児日誌を耳にする機会があり、
いかに苦労して育ててくれたかが分かり、
強く生きなければと決意を新たにした、との内容でした。
しばらくしてその母親の日記が、
『ママの目をあげたい』と題されて連載され始め、
毎日、涙で濡らしながら読ませていただきました。
その後も成人した折、学校を卒業された折と、
何度か読者の声の欄でもお目にかかり、
「ああ、頑張っていらっしゃるなあ」と励まされる思いでした。
今、わが子は中学生になり、母親の私を越え、
元気に学校生活を送っています。
振り返ってみますと、この二つの出会いは、
迷路で出会った道標のように、心に深く残っています。
参考本:心にしみるいい話
(全国新聞連合シニアライフ協議会編)
引用:「迷路で出合った道標」