絶望はとなりの人に聞いた。
『あなたはいったい誰ですか?』
となりの人は微笑んだ。
『私の名前は希望です』
そう「絶望」のすぐ隣には「希望」がいる。
これは、アンパンマンの作者、やなせたかしさんの言葉です。
2013年10月に94歳でお亡くなりになりました。
やなせさんのこの言葉は単なる思いつきではありません。
やなせさんがアンパンマンの絵本を描き始めたのは、54歳のときでした。
その頃、仲間の漫画家が次々に名を馳せて行く中、
やなせさんは、長らく売れない漫画家として、くすぶり続けていたのです。
それに、今でこそ全国で知らない人のいないアンパンマンも、
散々な酷評を受けていました。
お腹をすかせている子供に顔を食べさせるアンパンマン。
顔を食べさせる場面が「残酷だ!」
出版社からは「こんな絵本はこれっきりにしてください」
児童書の専門家からは、
「ああいう絵本は、図書館に置くべきではない」などなど。
「こんなヒーローは、やはり世に受け容れられないのか」
やなせさんは絶望的になっていました。
そんな大人たちの評判をよそに、子供たちの間には、
ちょっと違う現象が起きていました。
それはこんな現象でした>>>
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大人たちの酷評をよそに、子供たちの間では、
アンパンマンはじわじわと浸透していたのです。
幼稚園では、『あんぱんまん』を読んで読んでと、
子供たちが先生にせがみます。
また絵本を何度買い替えても、
ボロボロになるという現象が起き始めていました。
文字も読めない3歳の子どもたちが、
アンパンマンを強く支持するという現象が各地に広がって行きました。
後付けの理由かもしれませんが、
幼児たちには、おとなには見えないヒーローの
真の姿が見えていたのではないでしょうか。
やなせさんは過酷な戦争体験で、兵隊として飢えに飢えた時期に、
「飢え」こそ悪という思いを強くしました。
ヒーローは悪を滅ぼす立場ですが、
やなせさんにとっての「悪」を滅ぼすヒーローは、
あまりかっこよくないアンパンマンの姿に結集したのです。
飢えた人がいれば、自分の顔を食べてと差し出す心優しいヒーロー。
そんなやなせさんの真意が、純粋な幼児の感性に届いたのかもしれません。
その後、やなせさんが69歳のときに、
アンパンマンはブレークし、アニメ化されました。
アンパンマンが生まれて、全国区の人気者になるまで15年が経過しました。
長い長い絶望のトンネルの中にいても、
ポケットの中には「希望」の種が宿っていたのです。
ところで、アンパンマンのキャラクターたちにはある共通点があります。
アンパンマンも、メロンパンナちゃんも、
カレーパンマンも、食パンマンも指がないんです。
それは、アニメを描くスタッフの人たちがスムーズに描けるようにとの配慮でした。
スタッフの方たちが、出来るだけ早く家に帰れて、
子どもと一緒の時間を過ごせるようにするためです。
キャラクターの指がない理由は、やなせさんの優しさだったのです。