俺の車に乗ってくれてありがとうね

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方、地震がきた。

ちょうど自宅の階段を上がっている途中だったので、
震度4くらいに感じた。

「まだ揺れるのか」と思った。

中越地震(2004年10月発生)から2ヵ月以上たった
12月下旬のことである。

私は震度6の恐怖を思い出した。

それでも今日は忘年会がある。

正確に言うと、職場の忘年会は中止になったので、
職場の有志で慰労会を行う。

私は自宅からタクシーに乗り、会場に向かった。

タクシーの運転手さんは話好きであった。

自然と話題は夕方の地震のことになった。

私が、
「もうでっかいのはこないよねえ」
と言うと、運転手さんは、
「そう願いたいねえ。俺は今、仮設に住んでるんだ」
と言った。

驚く私に、彼は自宅が震源に近くて、あっという間に全壊したこと、
がれきの中から自衛隊に助けられ、着の身着のまま
避難所に身を寄せたことを話してくれた>>>

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そろしかったね。大変だったねえ」
と言うと、私はそのあと、言葉につまった。

涙が出てしまう。

私も被災した。

けれど家は残った。

一瞬にして何もかも失った人の切なさは
想像しただけで苦しくなる。

けれど運転手さんは、

「俺は自衛隊の人が神様に見えた。
 地震はむごかったろも、命がけで助けてもらったんだいの。
 仮設にも入れてもらって、
 俺、日本に生まれていかったと思ったてえ。
 それに、今こうして働かれるがに、ありがてえことら」
と言った。

朗らかに、明るい声で。

私は、
「そうらね。本当にそうらね」
と言ったけれど、涙を止めることはできない。

「お客さん、泣くなね。泣くなて。泣かしてかんべんね」
と言う運転手さんに、
私は、自分の両親の家が新潟豪雨で水没したことを告げた。

やがて車は繁華街に着いた。

「運転手さん、体に気をつけてね」
と私が言うと、
「今日はありがとね。俺の車に乗ってくれてありがとうね」
と運転手さんは言った。

私は立ち止まる。

運転手さんは、なかなかドアを閉めようとしない。

タクシーがゆっくり動き出す。

私は夜の街に消えていくタクシーを見送っていた。

「運転手さん、負けないでね」
と思いながら見送っていた。

参考本:人間っていいな!
「感動物語」編集部編
引用:「俺の車に乗ってくれてありがとうね」

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