一つのベッドの周りにカーテンがぐるりと引かれ、
そこだけがボンボリのように明るくなっています。
そのカーテンの中で、新人ナースの近藤さんは、
亡くなった患者(大澤さん・82歳・男性)の身体を拭きながら、
大澤さんの手の爪切りをしている彼の娘さんに言います。
同室の患者さん達を起こさないよう声をひそめて。
「今、ふと思い出したのですが、大澤さんは
〈オレが死んでも、霊安室には安置されたくないな。
あそこは何となく怖いから〉
と冗談ぽくおっしゃったことがあるんです」
「そうなの」と静かに言うと、娘さんは考え込むように無言で、
爪をパチンパチンと切ります。
そして大澤さんの顔に顔を近づけて言います。
「父さんたら、バカなこと言って。
死んじゃったら怖いも何もないじゃない。ねえ」
ねえ、のところで近藤さんにあきれたような笑顔を見せると、
目を伏せて独り言のように続けます。
「人に怖い話を聞かせるのは大好きなくせに、
自分は怖がりなんだから。変なこと言うわね。
近藤さん、気にしなくていいわよ、ほんと、
いいんですからね」
「あっ、はい。お身体を整えたらすぐに霊安室に
お移りいただくと決まっておりまして」
答えながらも近藤さんは、
娘さんの言葉は気持ちとは裏腹だと感じ、
〈何とか融通をきかせることはできないか〉
と思い始めました。
しかし新人ナースにとって、
業務に「融通をきかせる」ことほど難しいことはありません。
娘さん以外のご家族が一時間後、
葬儀社の搬送車が二時間後に到着します。
それまでの二時間を、
霊安室以外のどこで過ごしていただければいいのか。
あれこれ思案してみたものの良策なしです。
夜勤を組んでいる二人の先輩は、
生憎、病棟が誇る怖い先輩のツートップで、
気軽に相談はできません。
大澤さんの身体のケアが終わり、
近藤さんは思い切って、怖い先輩二人に
相談しようと心を決めました>>>
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大切なことのためには、先輩が怖いなどと
言っていられないと思ったのです。
すると先輩は、
「じゃ、特例ということで、お迎えが来るまで
空いている個室病室で過ごしていただきましょう」と即断。
ベテランならではの融通のきかせ方でした。
大澤さんの娘さんは父の耳元で囁きました。
「霊安室、行かなくていいんだって。
父さんは本心を冗談みたく言う人だから、
きっとよほど霊安室に生きたくなかったんだね。
そうでしょ、父さん。よかったね、父さん」
二時間後に大澤さんとご家族を無事見送った近藤さんは、
ツートップに初めて褒められました。
「よくぞ私たちに相談しました。
近藤にしては上出来」と。
出典元:「おたんこナース」小学館
「心に残るエンゼルケア」(小林光恵)より