
過去四度、死の告知を受け、自殺未遂の経験もある私は、
悩みを持つ青少年の命の電話相談を受けていました。
5年前のことです。
「Hさん、私、何人かのクラスメートからいじめられるの」
「どんなふうにいじめられるの?」
「あのね、最初、カバンを隠されたの。
 校庭の花壇の中にあると言うので急いで見に行ったら、
 靴の跡形だらけでグチャグチャになっていました。
 ショックでした。
 そんな私を取り囲んで笑っていました。
 私はその場を立ち去り、一人になって大声で泣きました。
 数日後、今度は自転車がなくなりました。
 一万円持ってきたら教えてやる、と言われました。
 だけどお父さんは蒸発して、お母さんが道路工事の旗振りをして、
 私を高校に通わせてくれたの。
 一万円もの大金なんて持って行けません。
 もう学校に行くのが嫌になりました。
 私なんかこの世にいない方がいいの……。
 Hさん、私どうしたらいいですか」
私は、何度も同じことを繰り返し話したようです。
話した「ようです」というのは、彼女の心に届くため、
私自身が、その時の話の内容を思い出せないくらい、
何とかしてあげたい気持ちでいっぱいいっぱいだったからです。
彼女の気持が落ち着いてきたのを感じて、
最後に、こんな話で別れました。
「クラスメートには、お金なんか持って来られないと
 ハッキリ言いなさい。そして、その理由も話してごらん。
 勇気を出して、両親のことも話したらいい」
「はい、分かりました。ありがとう」
不安げな泣きそうな声でした。
数日後、彼女から電話がありました>>>
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「Hさん、クラスメートに話をすると、
 涙を流して、ごめんなと言ってくれました。
 自転車はすぐに返してくれました。
 そして、俺たちもうしないと誓ってくれました。
 
 あれからいじめはなくなり、
 友達も出来て学校が楽しくなりました。
 家では料理をしたり、買い物に行ったり掃除をしたりして、
 お母さんの手伝いもしています。
 私、将来、看護師さんになるのが夢なんです。
 勉強もがんばります。またお電話します」
と声は弾んでいました。
その電話の声を通して、彼女の素直な心と、
生きる力を感じました。
それから数年経ったある日、
「ミチ子より」と記した花柄模様の封書が私の元に届きました。
「Hさん、私のこと覚えていますか。
 今日ね、戴帽式でした。最高に嬉しくてお便りしました」
と書かれ、私の体を案じたお守り袋が添えられていました。
私は、「やさしい看護師さんになって」
と心の中で囁きながら、お守りを握りしめ、そっと祈りました。
そのとき初めて知った名前で、「ミチ子さん、ありがとう」と。
