24歳で結婚、姑とのいさかい、
夫の暴力や浮気などに耐えられず、31歳で離婚しました。
小学1年生と生後10ヵ月の娘二人を連れて…。
慰謝料も養育費もなく、厳しい経済状態のスタートでした。
当然、私は働かなくてはいけません。
下の娘を保育所に預け、知人の紹介で営業の仕事をすることに。
私が仕事に慣れても、娘は毎朝、私を追って泣きました。
子供の方が順応性があるだろうという予想とは逆に…。
私は心のうちで何度もわびました。
娘たちからは笑顔がなくなり、
下の娘は言葉を教えてもしゃべりません。
私もストレスのせいか、肺炎、肝臓病、ウイルス性の高熱と、
三度の入院を繰り返しました。
この現実をどうしたものか、悩みは深まるばかり。
そんなとき言葉をかけてくださったのが園長先生でした。
先生は50代の女性で、私の話を真剣に聞いては、
親身にアドバイスしてくださいました。
「エミちゃんも頑張っているんだから、
お母さんも頑張らなくっちゃね」
仕事柄、車で移動していて迎えの時間に
間に合わないこともあります。
そんな時は電話で、
「延長保育お願いします」と連絡していました。
すると保育士さんたちはみな同様に、
「お母さん、エミちゃんは大丈夫ですよ。
それよりも、ゆっくりでいいから運転、気をつけてくださいね」
と答えてくれました。
ある日、仕事でアクシデントがあり、
保育園に着くのが夜の8時になってしまいました。
「どうしよう、どうしよう」と園内を走ると、
保育園の窓の明かりは、ほとんど消えています。
玄関で「すみませ~ん」と声をかけても人の気配はありません>>>
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静まり返った園舎の二階のほうから、
かすかに歌声が聞こえます。
急いで靴を脱ぎ、二階に行きました。
子供たちが忘れていったものを
洗って干している園長先生の後ろ姿が目に飛び込んできました。
背中には、私の娘をおぶって子守唄を歌っています。
時おり、娘のお尻を優しくトントンしながら。
私は声もかけられず、深く頭を下げました。
自分だけがつらいと思ったり、忙しさにイライラしたり、
そんな私に母親としてのやさしさ、
子を慈しむ心を思い出させてくれました。
「アラッ」
私に気づいて園長先生は
「お帰りなさい。遅くまでご苦労さまでした」
といつもの言葉をかけてくださいます。
「遅くなって申し訳ありません」と言うと、
「エミちゃん、今日もおりこうさんだったのよね~」
と娘に語りかけられました。
先生にも家庭があり、帰りを待っている家族がいます。
私と娘のせいで遅くなってしまったことに
申し訳なさや感謝の気持でいっぱいに。
言葉にできぬ思いが涙となってあふれてきます。
すると、
「エミちゃんは泣かないで待っていたのに、
お母さんが泣いたらおかしいね」
と、優しいまなざしを向けてくださいました。
笑わない、しゃべらない、病気がちだった娘は、
明るいおしゃべり好きな、元気な子になって卒園しました。
愛情だとか人の情けなど、
忙しくて考える余裕すらなかった私はあの夜、
失ってはいけない「優しい心」、
忘れてはならない「家族への思い」を
大切にしようと心に決めました。