父の孫娘、つまり私の娘はユイコといいます。
ユイコは、おじいちゃんが亡くなった直後から、
周囲の雰囲気にはおかまいなく、
おじいちゃんのことを、しばしば口にしていました。
当初は、
「おじいちゃんは火に焼かれても熱くなかったのかな」とか、
「どうして、あんなに狭いお墓の中に、おじいちゃんは入っていられるの?」
といったような、随分と答えに困るような問いを発していました。
例えば、幼稚園に向かう途中、おばあちゃんの家に立ち寄り、
おじいちゃんの位牌に向かって、
「おじいちゃん、いってきまーす」と言ったり、
幼稚園から帰るときには、
「ユイね、今日、鉄棒で前回りができるようになったんだよ」
と、その日の出来事を報告したりするのです。
また、お菓子をたくさん貰えた時、折り紙で何かを作った時などは、
その中のいくつかを、おばあちゃんの家へ持っていって、
仏壇に供えるのが習慣のようになっていきました。
しかし、そうした時、
「おじいちゃん、きっと喜んでるよ」と私たちが言うと、ユイコは決まって、
「でも、おじいちゃんは、ユイにはお返事してくれない。何も聞こえないよ」
と口をとんがらせるのでした。
そんなことがしばらく続き、三回忌も間近になったある日のこと、
幼稚園に向かう途中、道にドングリがたくさん落ちているのをユイコが見つけました。
ユイコは大喜びで、
「これはママの分、これはパパの分、これはおばあちゃんの分・・・」
と言いながら、手にいっぱいになるまでドングリを拾いました。
そして最後に、
「これは、おじいちゃんの分」と三つ拾いました。
それまでですと、こうした時は必ず、
「これを今すぐ、おじいちゃんの所に持っていくんだ」
と駄々をこね、おばあちゃんの家に行きたがるのが常でした。
けれども、その日は時間にゆとりがなかったので、
私が先走ってこう言ったのです。
「ユイちゃん、今日は、もう幼稚園の始まる時間だから、
おじいちゃんの所に届けているひまはないよ」
これに対するユイコの返事は、
私をハッと驚かせるものだったのです>>>
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「ユイちゃん、今日は、もう幼稚園の始まる時間だから、
おじいちゃんの所に届けているひまはないよ」
と私が言うと、
「いいよ。おじいちゃんは、
ユイがおじいちゃんの分を拾っているだけでうれしいってさ」
とユイコが答えるのです。
私はハッとして、
「ユイには、おじいちゃんの声が聞こえるのかい?」
と尋ねると、
「ううん。声は聞こえないよ。だけど、
ユイには分かるの。ねえ、おじいちゃん」
と言うのです。
父が亡くなって以来、私たち家族が過ごす日々は、
庭木が一本抜かれてしまったような寂しいものでした。
けれども、娘が、父の魂を心に宿し、
その魂としっかり対話を交わしていることを知った時、
家族の絆とは、こうやって受け継がれていくのかと思い至りました。
そして、心に生じていたすきまが、
何やらしみじみとした思いで満たされていくような気がしました。
参考本:「心に残るとっておきの話」潮文社編集部