スピルバーグ監督、背伸びしなければ見えない景色がある

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界的な映画監督のスティーブン・スピルバーグ。

スピルバーグは、決して映画作りのエリートコースを歩んできたわけではありません。

アメリカ、オハイオ州でユダヤ系移民の3代目として生まれた彼は、
アリゾナ州で育ち、幼いころから映画に対して並々ならぬ興味を示していました。

いつしか彼は、8ミリカメラを使い、自主制作で映画を撮影していました。

彼は映画の道を志したものの、
映画にのめり込みすぎていたせいで、勉強は二の次、三の次。

結果、UCLA(カリフォルニア州立大学ロサンゼンルス校)を受験するものの、
見事に不合格。

さらに映画学科で有名な南カリフォルニア大学を受験したものの、
これもまた不合格となります。

仕方なく、スピルバーグは全く無名のロングビーチ大学に入学することになります。

しかし、有名大学には入れなくとも、さすがは天才スピルバーグです。

ロングビーチ大学在学中に製作した映画が評判となり、
やがてハリウッドからお呼びがかかることとなります。

ただ、いかに天才スピルバーグとはいえ、座して待つだけで、
お声がかかるほど世の中は甘くありません。

彼がロングビーチの大学生だった頃、どんなふうに自主制作の映画を売り込んだか、

凡人の僕らは学ぶべきものがあります。

彼は、なんとか実際の撮影現場を見たいと考えていました。

そこで、ユニバーサルスタジオが主催していたガイドツアーに参加しました。

そして、ツアーの途中でこっそり乗り物から降り、

ツアーが終わるまでスタジオの陰に隠れていたのです。

さて、その後のスピルバーグの行動が面白い>>>

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の後、彼はスーツを着込んで、ブリーフケースを持ち、
まるでその場で働いているかのように振舞いました。

さらに映画関係者に話しかけて仲良くなりました。

使われていない部屋を見つけると、案内板に自分の名前をのせて、
その部屋を自分用に使っていたといいます。

こうして知り合ったユニバーサルの制作部長に、自分の自主製作映画を見せ、
彼はスタジオと契約を結ぶことに成功したのです。

誰もが自分自身の視野の限界を、
 世界の限界だと思い込んでいる(ショーペンハウアー)

僕らは、ついやるべきこと、やってはいけないことに視野を向け過ぎ、
渡る世間を自ら狭くしているのかもしれません。

※スピルバーグのように、ひとつ間違えば迷惑行為でつまみだされるようなことを
積極的に奨励しているわけではありません。

僕らは彼の何分の1かの行動力を持てば、もっと道の開ける可能性があることを言いたいのです。

ちなみに、有名大学への進学に失敗した才能ある人々が、
有名大学に進学した人よりも功績を残すことが多い事象を、
彼の名を取ってスピルバーグ効果と呼ぶそうです。

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