きみまろさんは、「おやじにもらった1万円」だけを手に、高校卒業後に上京。
以来、潜伏期間30年。50歳代にブレークしました。
そのブレークポイントが面白いです。
「潜伏期間30年」の間には、キャバレーの司会や森進一さん、
小林幸子さんなどの専属司会をやってたこともあります。
その頃から、単なる司会業じゃなく、中高年漫談の腕を磨いてきました。
試しに録音したカセットテープに反響があり、
自分一人の漫談で勝負してみようと立ちました。
50歳の時です。
何とか、世に出たいという夢は衰えなかったのですね。
寄席の高座にも打って出ました。
しかし、まだまだ仕事が押し寄せてくるほどのことはありません。
きみまろさんは、中高年が寄り集まって、
漫談などを聞いてくれる場所はどこなのか、真剣に考えました。
そしてひらめいたのが観光バスの車中という場でした。
観光バスのおっちゃん、おばちゃんたちがカラオケにも飽きたころ、
テ―プで流れる漫談などに耳を傾ける、そんな状況を思い浮かべました。
思いついて、早速実行にうつすところがきみまろさんの優れたところです。
きみまろさんは、2001年の4月頃から、高速バスのサービスエリアに立ちました。
観光バスを相手に漫談のテープを無料で配り始めたのです。
気味悪がられても、嫌がられても配り続けました。
走りかけのバスを追いかけて、こけつまろびつしながらも、配り始めて数ヶ月。
初めての経験をします。
バスガイドさんから「きみまろさん?」と聞かれ、「はいっ!」と答えたら、
「サインしてください」という答え。
おもしろくて、おもしろくて、一度お会いしたかったんです。
そんな小さいけど、大きい手ごたえにきみまろさん、少し胸がふるえました。
それから、ほんの少し経った頃、世間を大きく驚かす大事件が勃発します。
はからずも、その大事件は、きみまろさんへの追い風になるのです>>>
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その大事件とは、2001年9月11日。米国の同時多発テロ事件です。
それを機会に、中高年の海外旅行が激減します。
その分、国内旅行、特にバスの観光旅行が大幅に増えたのです。
ものすごいバスの数だった!ときみまろさんは述懐しています。
バイ菌みたいに増殖して・・・とひと言余計なことも言ってます。
配るカセットテープの数もどんどん増えて、配った総数は3000本を超えました。
その頃、噂を聞きつけたテイチク・エンタテインメントからCD化の話が持ち上がりました。
発売と同時に「30年の潜伏期間」にくすぶっていた炎が
燎原の火のように燃え広がったのです。
その後は、ご存じのような人気者となり、今や漫談界のキングのような存在になりました。
きみまろさん、こう言ってます。
「りんごだって熟れたら落ちる。
芸能人だって、売れたら売れなくなるんだから」
「でも、わたしには、今までの下積みの芸というものがあるから、
どんなにマスメディアに捨てられようと、何にも怖くないんですよ。
もともと貧乏だったんだから。
もともと1万円もらって、鹿児島から出てきたんだから、
また1から頑張ればいいじゃないですか」