夫婦なのに夫はなぜ人間らしい一面を見せない

b277
四年前、結婚して新しい生活を始めたばかりのこと。

夫と暮らしを共にできる喜びも束の間、
思いがけず私は病気になり、体にハンディを持つという
苦しみに出会いました。

二度の手術を受けてもなお、こんな足、もぎとってしまいたいと、
本気で考えるほど、絶えず疼き痛む足。

歩けなく、ベッドでじっとうずくまり、痛みを我慢する毎日。

また、夫との結婚生活についても悩みました。

病気やハンディを持つことになり、
夫に対して申し訳ない思いや負い目でいっぱいでした。

ですから、こんなにも変わってしまった私の人生に、
夫を巻き込んではいけない、
私一人で背負っていかなくてはいけないと思ったのです。

私の心は苦しくて苦しくて、
今にもつぶれてしまいそうでした。

しかし、幸せなことに、私はいつも変わらぬ大きな優しさで受けとめ、
支えて下さる人々に包まれていました。

特に夫の存在は大きく、もしもあの時、
夫がいてくれなかったらと思うと、空恐ろしくなります。

心を、いえ、命さえも失っていたかもしれません。

夫は、入院している私の所に、毎日毎日来てくれました。

忙しくて疲れている時もあるでしょうに、
私がふさぎこんでいても、泣いていても、八つ当たりしても、
どんな時もいつも同じ足どりでやって来て、普段通りに過ごすのです。

痛みや先が見えないもどかしさから、
すっかり自分を見失っていた私は、
いつも変わらぬ夫の姿を、素直に見ることができませんでした。

私を怒るでもない、私に愚痴をこぼすでもない、
私と一緒に悩むでもない、平静で動じない夫に、
寂しさ、切なさ、惨めさを感じました。

「夫婦なのに、どうして人間らしい一面を見せてくれないの。
 義務や同情、もしかしたら偽善で私と一緒にいてくれるの?」

私は夫が病院に来てくれるたびに、喜びで迎えるのですが、
いつも虚しさで見送っていました。

いつぞや、何かの折に夫が話してくれた言葉。

その中に、夫の変わらぬ態度の理由を見つけたのです>>>

スポンサーリンク

↓Facebookの続きは、こちらからどうぞ↓

の話です。

「体が変わり、生活が変わり、周りの人の君への見方が変わり…
 いろんなものが変わったけど、一つぐらい、いつも、
 いつまでも変わらないものがあってもいいじゃないか。

 俺はどんな時も変わらないよ

夫は、いつも私の心に寄り添い、
私の心のよりどころになろうとしてくれていたのです。

私の中に、感謝、やすらぎ、希望…
そんなあたたかな気持がゆっくりと満ちていきました。

そして、
「ああ、一人じゃないんだ。この人のためにしっかりと生きよう。
 この人と力を合わせて幸せになろう」
と強く思いました。

この思いは私を支え、痛みやハンディと付き合いながら、
生きていく暮らしに飛び込ませてくれました。

苦しみの山をひとつ、乗り越えさせてくれました。

退院して夫と二人三脚の暮らしが幾らか経った頃、
私は小さな幸せに囲まれていました。

主治医の先生からは、私の体への負担から
賛成していただけませんでした。

しかし、いつになったらと先の見通しの無い病気のため、
反対も出来ないと言われました。

私たちは何度も何度も話し合いました。

無事に生まれるだろうか、育児が出来るだろうか、
母親の体が不自由なことで不憫な思いをさせないだろうか。

話し合いの末、「二人で力を合わせたらきっと出来る
と言う夫の心が、踏み出せずにいる私の背中を押してくれました。

子供を授かったら喜んで迎えよう、
そう決めました。

しばらくして、私たちは元気な男の子を授かりました。

私は今、痛み、ハンディ、様々な葛藤と向き合いながら生きています。

決して望んでなった病気ではないけれど、
変えられない現実ですから、一日一日を丁寧に楽しく生きたい。

ささやかな幸せに感謝して生きたい、
そう願って精一杯生きています。

私の腕の中で、安心しきって眠るわが子。

この子の笑顔を真ん中に、
夫と私は穏やかなひとときを送っています。

引用:[珠玉編]心にしみるいい話
(全国新聞連合シニアライフ協議会編)
「変わらないもの」

スポンサーリンク