九死に一生を得て、壮絶な体験を持つキレイな女優さん

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つだったか、お昼のNHKのインタビュー番組をそれとなく眺めてたら、
サヘル・ローズというキレイなタレントさんが出ていました。

最近、よく画面でお見かけする女性です。

半分聞き流していたトークでしたが、
途中彼女の生い立ちが語られ、
「えっ!」と耳をそばだててしまいました。

彼女は、イラン・イラク戦争で生家が空爆に遭い、
両親と10人いた兄姉を全て亡くしたそうです。

その後、倒壊した家の瓦礫の中から4日後に、
ひとり救助されたという壮絶な体験を持っています。

当時大学生でボランティアの救助活動を行っていた
フローラ・ジャスミンという女性が、瓦礫の中からサヘルさんを発見しました。

がれきの中に小さい手が見え、
人形の手だと思ったら、それがサヘルさんの手だったといいます。

即死しなかったことも幸運なことでしたが、
4日後に、わずかな可能性で救出されたのは奇跡的なことでした。

さらに、救出した女性フローラさんとの出会いは、
サヘルさんの運命を決定づけたのでした。

ともかく、4歳にして、サヘルさんは
イラン・イラク戦争の犠牲により、全ての家族を失い孤児となったのです。

体調が回復すると、戻る家庭のないサヘルさんは、
孤児院へ送られることになります。

数ヵ月後、その孤児院に、命の恩人のフローラさんが見舞いに訪れます。

サヘルさんの孤独は募っていたのでしょう。

フローラさんのことを「お母さん」と呼び慕いました。

フローラさんは、ここで大きい決意をします。

「この子は、私が育てよう」

フローラさんは、孤児サヘルさんを引き取り養育しますが、
ここで二人に逆風が吹きます。

非常に高い身分であったフローラさんの実家が、
孤児であるサヘルさんを養育することを
「家柄に傷がつく」として猛反対しました。

やがて経済援助も打ち切られてしまいました。

途方に暮れたフローラさんは、
フィアンセのイラン人男性を頼ります。

そのイラン人男性は日本に留学中であり、
ここにもサヘルさんの運命のターニングポイントがあります。

フローラさんは、サヘルさんを伴い、
日本に渡るという思い切った行動をとったのです。

もはや、心情的な母子は、運命的な母子ともなり、
サヘルさんにとってフローラさんは、
かけがえのない「お母さん」になりました。

しかし、日本にひとり留学中のイラン人男性と、何にも知らない二人の女性、
この三人の暮らしが平穏であるはずがありません。

ただ救いは、サヘルさんの小学校への入学手続きは済まされたことです。

これのみが、その後、サヘルさん母子が社会とつながる
微かな救いの糸だったのです。

フローラの婚約者は、ユニットバス付きの6畳一間に住んでいました。

同居からわずか一週間ほどで暴力を振るい始めたフィアンセ。

日本に渡って新しい生活を夢見たサヘル「母子」でしたが、
幸せな期間はわずか数週間しか続きませんでした。

彼のサヘルへの虐待が目に余るようになりました。

生活は、経済的にも上手くいかなくなり、
結局、同居の彼からは「好きな人ができたから、出て行ってくれ」
と告げられました。

フィアンセと別れることとなったフローラ。
いよいよ行く場所が無くなった二人は、
公園の土管の中で寝るようになりました。

ホームレス生活の始まりです

ここまでの彼女の生い立ちは、壮絶きわまりないものでした。

その後、彼女の運命が大きく好転する上で、
欠かせない人が登場します。

思いがけない人が救いの手を差し伸べてくれたのです>>>

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ームレス生活を始めて数週間が過ぎた頃でした。

「何か困ったことがあるんじゃないの?」
と声をかけてくれた人がいます。

小学校の給食調理の女性でした。

毎日同じ服を着て、給食だけで飢えをしのいでいるようなサヘルさんを見て、
その女性は、サヘルさん母子の悲惨な状況に踏み込んでくれたのです。

まず住まいについては、アパートを探し保証人になってくれました。

次にはフローラの収入面ですが、ペルシャ絨毯を織る仕事を見つけてくれました。

世の中は捨てる神あれば拾う神あり。

まさに、この女性が母子の生活に踏み込んで、
お世話をしてくれなかったら、どうなったことでしょう。

サヘルさんは、この女性に「どんなに感謝してもしきれません」
と語っています。

その後も決して平坦な道のりではありませんでしたが、
サヘルさんは、極貧の中で見つけた「女優になる」という夢を、
遂に叶えたのでした。

長い間、どしゃ降りの中にいても、明るい夢を放棄しなかった、
サヘルさんの心の支えには、日本のひとつのドラマがあったといいます。

そのドラマとは、イランでも見たことがある「おしん」でした。

おそらくサヘルさん、おしんの苦難のドラマ展開を、
自分とお母さんの運命とも重ね合わせて、見ていたのでしょう。

以上、ここまで駆け足で、サヘル・ローズさんの足跡を辿りましたが、
まだまだ多くの出来事がこの母子に起きたはずです。

いじめや差別など、想像するに難くありません。

それでもサヘルさんは語っています。

イラン人であること、母と一緒にここまで生きてこられたこと、
 それが私の誇りです

ひとつの夢を叶えたサヘルさんですが、
さらにまだまだその夢は発展途上のようです。

現在の夢は、
「オスカー賞を取り、養母に贈りたい。
 そして自分は皆に支えられてきた思いがあり、
 イランに、孤児院を作りたい」
とのことです。

是非、この夢も実現されるように…。

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