大阪の貧乏な寺の子で、三島海雲(みしまかいうん)という人がいました。
この人は、風変わりな人で、坊さんになるのを嫌い、
みなぎる冒険心を抱えて、中国大陸に渡ります。
海雲さん、大陸放浪の道すがら、モンゴル地区の貴族の天幕(パオ)に
しばらく厄介になる経験をしました。
彼らの住まいであるパオというテントの入口には、
牛や羊などの乳を蓄えた大ガメが置いてありました。
毎日、大ガメの中の乳を飲んだ海雲さん、
そのパワーにすっかり感動しました。
その効果を、こう述べています。
「長くつらい旅のために、すっかり弱っていた胃腸の調子が、
目を見張るばかりに整った。
その上、日ごろ苦しんでいた不眠症も全く治った。
身体、頭、すべてがすっきりして、体重も増え、
それはあたかも、不老長寿の霊薬にでも遭遇した印象さえ受けた」
この乳に出会った海雲さん、日本に帰ってからの運命が変わります。
また、日本人にとっても、大変象徴的な飲料として、
これが普及することになります。
もう勘のいい方は、うすうすお分かりでしょう。
その飲み物は、今日このように商品化されています>>>
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日本に帰ってきた海雲さん、何で再起を期そうかと考えましたが、
直ぐに、蒙古民族の乳飲料の素晴らしさを思い出し、
それを参考に、新しい乳製品の開発に着手することにしました。
何年も試行錯誤を続け研究、改良を重ねた結果、
ついに海雲さんは、国民的飲料となる乳酸菌飲料を
生みだすことに成功したのです。
これが「カルピス」です。
カルピスは、蒙古民族の不思議な乳飲料をヒントにつくられたのでした。
1923年、関東大震災の時です。
東京の大半は見るも無残な状態。
水道が止まって飲み水もままなりません。
いたるところに避難民が溢れかえりました。
飲料水の不足を放っておくと、地震、火事の不幸に続いて、
もっと恐ろしい疫病が蔓延しかねない、そんな状況にありました。
幸い、カルピス本社の山手方面では水道の損傷が少なく、水が出ました。
そこで海雲さんは、自分で出来ることは何かを考え、水を配ることにしたのです。
それもせっかく水を配るのであれば、
氷とカルピスを入れて美味しく配って上げようと思いつきました。
金庫のあり金、2,000円(現在の価値で2,500万円ほど)を全部使い、
トラック4台を調達し、翌日には東京中に配って回りました。
この行動の早さは、たちまち大きな反響を呼ぶことになりました。
このことがきっかけとなり、「カルピス」が広く世間に知られることになりました。
それをもって、「お安い広告料だった」などなどのやっかみも出てきました。
しかし、多くの人は知っています。
大混乱の時に、素早く行動できる反射神経は、計算ずくで出来るものではない。
真に人が困窮にあえいでいる時、即刻身を捨てて行動する。
そこに利己ではなく、利他があることを直感的に感じ取ります。
そんな人、そんな企業を、大衆はよく見ているのです。
震災20年経ってから、某省の高官が海雲さんにこう言ったそうです。
「私はカルピスのことなら、喜んでどんなことでも協力いたしましょう。
それは震災の時に、上野でもらった一杯のカルピスのうまさが
生涯、忘れられないからです」
カルピスといえば「初恋の味」のキャッチフレーズがあまりにも有名です。
でも、キャッチフレーズだけで、国民に愛飲されるようになったわけではない、
そんなことがお分かりいただけるかと思います。