何回数えても100円玉が一個足りません。
総額が99,400円しかないのです。
「たかが100円」と思ってみたものの、
金額が合わないというのは、何とも気持の悪いものです。
封筒の中、かばんの中、果ては車の座席の下まで、
心当たりのところはくまなく探しました。
これは、私がボランティアとしてかかわっている、
ある団体の会費なのです。
7月末の猛暑の一日、汗水たらして駆けずり回って
集めてきたお金なのです。
あきらめました。
「足りなかったのが一万円札ではなく、
100円玉だったのが不幸中の幸い」と、
ポケットマネーから、100円玉を一個補充して
事務所に収め、一件落着。
と、夕刻、電話がありました。
昼間訪問したある家庭からです。
集金の労をねぎらってくださった後、
「ところで…、集金した金額はぴったり合いましたか…?」
と言うのです。
電話の主の真意を理解した私は、
「100円不足」の顛末を手短に話しました。
「やっぱりそうでしたか。
その100円玉は私どもでお預かりしております…」
この一言で今までの私の心のもやもやは晴れました。
しかし一方、心の片隅では、宵闇せまる今、
「100円玉をもらいに行くこと」と、
「一刻も早い晩酌」の、どちらをとるか、天秤にかけていました。
私は、
「ご厚意ありがとうございました。その100円玉は、
後日お伺いしたときにいただきます」
と一方的に電話を切ってしまいました。
次の機会というのは、来年になってしまうかもしれないのにです。
詳細を聞いていた妻は「それでいいの?」と言います。
ハッと我に返りました>>>
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たかが晩酌、そのためにせっかくの人の善意を
踏みにじった行為を私は恥じました。
すぐさまお詫びの電話を入れました。
ご主人、奥様お揃いで私を迎えてくださいました。
冷茶をごちそうになり、玄関マットに半分隠れるように落ちていた
100円玉を発見した時の様子などを静かに話してくださいました。
真新しい封筒に入れられた100円玉。
胸のポケットにしっかりおさめさせていただきました。
「100円玉」という貴重な善意をいただいた私は、
宵闇も一段と濃くなった街並をぬって家路につきました。
ハンドルを握る私の心は、晴れ晴れとしていました。
参考本:涙が出るほどいい話「小さな親切」運動本部編