子供の頃、Mさんはお父さんとの二人暮らしでした。
お父さんは仕事で忙しく、いつも家に居ません。
いつも一人で留守番です。
明りのついてない家の鍵を、毎日自分で開けなければいけません。
それに、三十数年前、まだ父子家庭は世間から距離を置かれており、
「お母さんのいない子とは遊んじゃいけない」
と陰でささやかれていたようです。
なぜ私だけ、こんなに寂しい思いをしなければいけないの、
とMさんの心は次第に荒んでいきました。
不自由がないようにと、お父さんからは多めにお小遣いをもらっていました。
家には帰りたくないし、公園でお菓子を買って食べてると、
近所の主婦たちから、後ろ指さされるようなこともたびたびでした。
そのうち、人目を気にしないでいい、自分の居場所が見つかりました。
ゲームセンターでした。
ここなら何時間いても怒られず、ゲームをするお金もあります。
中学生になっても、学校帰りに制服のままゲーセンに通いました。
そんな姿も、人に見られて不良よばわりされ、
Mさんはますます孤立していきました。
誰もMさんに近寄りませんでした。
そんな時、ただ一人だけおせっかいな人がいました。
中学二年生の時の担任、女先生でした。
「どうして、毎日ゲームセンターに行くの?」
「別に」とMさん。
ふて腐れたMさんの態度です。
先生は、Mさんの家庭環境を察し、しばらく様子を見ることにしました。
二学期が始まったばかりのある時、
Mさんは、先生から「はい!」と渡されたものがあります。
その渡されたものを通じて、
Mさんの行動とその後の生き方が大きく変わります>>>
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「これ宿題ね。明後日までに読んできて」
Mさんが渡されたものは、一冊の文庫本でした。
面倒くさかったけど、宿題と言われたら仕方ない、
Mさんは、しぶしぶ本を受け取り、読んでみました。
その文庫本は、当時とても人気があった推理小説だったのです。
およそ宿題にふさわしくないものでした。
Mさん、その本が面白くなりました。
読み進むうちに、犯人が誰なのか気になり、夢中でページをめくります。
二日後、先生に宿題を終えたことを報告しました。
先生は、
「じゃあ、次はこれね。先生とどちらが先に読み終わるか、競争よ」
と、次の本を手渡しました。
同じ本が先生の手元にもありました。
これが宿題ではないことがMさんにもわかりましたが、逆らわずに読みました。
次の本も面白かった。
Mさんは、次第に先生に会って本の話をするのが楽しみになってきました。
トリックや犯人が誰か推理を立てたりするのに、
Mさんの目が輝いてきました。
そんな「読書会」が10回以上繰り返されました。
ある時、Mさんは、もらってばかりでは悪いなと思い、
自分で2冊買って、先生に一冊渡しました。
その時、先生は目を潤ませながら、
「読書は楽しい?」と聞いてきました。
Mさんはその時すでに、読書の楽しさを感じていたし、
独りの夜の寂しさもまぎれていたのでした。
それでも、なぜかその時は素直に返事が出来ませんでした。
Mさんが高校に進み、先生が他県に転任するまで、
そんな「読書会」は続いたそうです。
その頃には、本の話ばかりでなく、いろんな相談事も含めて、
先生は、Mさんの話を聞いてくれました。
現在のMさんの本棚には、先生とともに読んだ
沢山の本が並んでいるそうです。
一昨年、その先生は、まだ50歳代の若さでお亡くなりになりました。
焼香の時、先生の遺影がMさんに語りかけてくるのを感じたそうです。
「読書は楽しい?」
今なら、Mさんは言えます。
「はい!」
先生、ありがとう、と。
参考:PHP《特集》人生、どっしり構えてみよう
「読書は楽しい?」を下敷きにしています。