手抜きをしたくなったら、この話を思い出してください

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を抜くほうが疲れる」

これは木村拓哉がなにげなく言った言葉です。

でも、このひと言は、日本人の高い倫理性をよく言い得ていると思います。

ちょっと話は堅い方に飛びますが、
旧ソ連時代、1955年のことです。

ウズベキスタンというソ連を構成する一国がありました。

ソ連からの命令が下りました。

「外国人の墓地を更地にして整備せよ」

これに対し、ウズベク人たちは「ニェット(No!)」
と言って従わなかったのです。

なぜか?

なぜなら、そこには日本人の墓地があったからです。

第二次世界大戦において、抑留された日本人兵士たちの墓。

日本兵は、ソ連にとっては敵兵です。

にも関わらず、ソ連の一員であったウズベク人たちは、
日本兵士の墓を命がけで守ろうとしてくれたのです。

再び、なぜか?

それはウズベク人たちが、日本人を尊敬する友人として見ていたからです。

彼らは、日本人兵士のスゴサを目のあたりして驚いていたのでした。

シベリアに抑留されていた日本人兵士たちは、
日本に帰りたくても帰れない捕虜のようなものです。

絶望と飢えのなかで、抑留生活に本来なら夢も希望も見当たらないはずです。

にも関わらず、日本人たちは、ごく日常の暮らしぶりで、
規則正しい勤勉な労働姿勢を彼らに見せていたのでした。

どんな状況でも、手を抜くことをしなかった。

その姿に心打たれたウズベク人が多かったのです。

命がけで、そのときの日本人兵士たちの墓を守ろうとしたウズベク人。

その判断が全く誤りでなかったことが証明されます。

それが、1966年のことでした>>>

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1966年、ウズベキスタンの首都、タシケントを大地震が襲いました。

震度8です。

周りの建物が次々に倒壊していく中、無事に残った建物がありました。

中央アジア最高の格を誇り、オペラやパレエ、コンサートなどが上演される
ナヴォイ劇場」です。

瓦礫の山となった周囲一面、しかしナヴォイ劇場は、
壁が落ちることも、照明器具が落ちることすらなかったそうです。

「すごい!この建物を造ったのは誰か?」

日本人でした。

しかもシベリアに強制抑留されていた日本人抑留者でした。

「やっぱり日本人はすごかった」

勤勉で規則正しく、確かな技術を用いた日本人抑留者たち。

その働きぶりを真近で見ていたウズベク人。

彼らの感銘はすさまじいものだったそうです。

手を抜かない日本人。手を抜くほうが疲れる日本人

ウズベキスタンでは、「日本人のようになりなさい」
と子どもに諭す母親も現われ、
今でも「日本人を見習おう」が合言葉になるほどの大変な親日国家です。

僕ら現役の日本人。

サボりたくなったら、先輩たちの仕事をしてきた後ろ姿を思い出すのもいいですね。

参考本:ニッポンのココロの教科書
著者:ひすいこたろう
発行所:大和書房

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