でもそれだけなら、当時、別に珍しいことではなかった。
ただ僕の場合は障がい者であり、
さすがに障がい者の学生アルバイトは少数派だった。
1歳の時の病気の後遺症で、右腕が全く動かなかった。
何の仕事をするにしても、片腕が動かないことは大きなハンディだった。
大きなパン工場。
ベルト・コンベアーの上に、焼き上がったパンが流れてくる。
それを箱に入れるだけの作業。
出来ると思って行ったが、両手でパンを取るのと比べ、
片手で取るのでは、どう工夫しても半分しかできない。
僕のところで、パンの山ができる。
数時間でクビになった。
高速道路の料金所でのキップ渡し。
車の車種を判断し、ボタンを押して何種類かのキップを出す。
それだけなら普通にできた。
ただその切符を右手で渡せない。
仕方がないので左手で渡す。
やはり倍は時間がかかる。
僕のゲートだけ渋滞してしまった。
半日でクビになった。
何十種類か覚えていない。
いろんなアルバイトをした。
ほとんどが一日か、せいぜい三日くらいでクビになった。
それでも僕は大学を続けたかった。
アルバイトでほとんど講義には出られなくなったが、
勉強は続けたかった。
大学近くの公立図書館でアルバイトした時のことだ。
日曜日の貸し出し業務。
一番利用者が多いのは、やはり日曜日の昼間だ。
僕がカウンターに立つと、利用者を待たせる時間が長くなる。
混んだ時は、職員の方が手伝ってくれたが、
その日は全体に混んでいたのか、僕一人でこなしていた。
待っているおばさん二人がブツブツ言いだした。
「この人、いつも遅いのよね」
「なに手間取っているのかしら」
利用者のほとんどは、僕が右手が不自由なことを知らない。
知らない人が見たら、なんで右手を使わないのか不思議だったろう。
外見で障がい者と分からないのは、ときには不利になる。
そんな声が聞こえてくると、よけいに焦ってくる。
カードを抜き出し、記入して日付印を押す。
数分しかかからない作業が、一時間もかかっているように思われてくる。
並んで待っている人全員が、
「遅い」「遅い」「遅い」
と連呼しているような感じで、
僕は何だかめまいがしてくる思いだった。
その時だった。
つなぎの作業服を着たおじさんが何か言った>>>
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「兄ちゃん、左手だけで器用だなあ。まるで手品を見ているみたいだ。
よくそんなに速く出来るね」
皮肉な言い方ではなく、本当に感心した、という言い方だった。
並んでいる人たちが、初めて僕が左手しか使っていないこと、
右手が不自由なことが分かったようだ。
一瞬、シーンとなったが、
それからはみんな黙って待ってくれた。
僕が本を渡す時、
「ありがとう」「ごくろうさん」
と声をかけてくれる。
つなぎのおじさんの番が来た。
よく見ると、話したことはないが、いつも文学書、
それも全集ものをよく借りるおじさんだった。
僕が何か言おうかなと思ったら、おじさんの方から、
「これは三日くらいで返しにくるよ。
次はいよいよ芥川龍之介だ」
と言うと、少し微笑んで、さっさと帰って行った。
「どう忙しい?」
職員の方が手伝いに来てくれた。
「いいえ、大丈夫です」
と大きな声で答えた。
・・・泣き笑いの顔で。
参考本:心があったかくなる本より 【PHP研究所編】