地味ですが、凄味のあるスラッガーでした。
1965年に入団テストで東映フライヤーズ(現・北海道日ハムファイターズ)に入団し、
やがて張本選手とのコンビでОH砲と呼ばれるようになります。
セ・パ両リーグで1000本安打を達成。
両リーグ200本塁打には、たった1本足らずという記録もあります。
スゴイ選手でしたが、引退後、解説者やコーチなどのキャリアを経て、
1992年に満47歳の若さで肝臓ガンにより亡くなりました。
大杉勝男選手が引退した年1983年最後のゲームのことです。
相手チームは巨人軍でした。
ヤクルトの選手が胴上げして、最後に全員で記念写真を撮ることになりました。
ヤクルトおよびファンにとっては微笑ましい光景でした。
巨人ナインも誰ひとり帰らず、胴上げシーンとその後の記念撮影を見守っていました。
そんな光景の中、やはり敵チームからも尊敬されていた大杉選手です。
一塁側巨人ベンチに向かってこう声をかけたのです>>>
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大杉選手は、巨人軍ベンチに向けてこう声をかけました。
「おい、一緒に撮ろうよ!」
こうして大杉選手の引退記念写真は、なぜか巨人ヤクルト両チームの全員が
ニッコリ笑顔を揃えることになりました。
誰からも愛される、大杉選手らしいラストシーンだったのです。
通算本塁打はパ・リーグで287本、セ・リーグで199本。
前記した両リーグでの200本ホームラン記録に1本足らずの記録です。
引退試合の挨拶で、大杉選手はこんな言葉を残しています。
「最後に、わがまま気ままなお願いですが、
あと1本と迫っておりました両リーグ200号本塁打、
この1本をファンの皆様の夢の中で打たしていただきますれば、
これにすぐる喜びはございません」
何という、ファンの心に刺さる言葉でしょうか。
また引退会見の席では、こんな句を詠んでいます。
「さりし夢 神宮の杜に かすみ草」