数年前、大山さんは認知症であることを公表し、
それでも仕事復帰するなど、ファンや周囲の方に対し勇気を与えました。
5年前にはご主人がお亡くなりになりました。
大山さんは介護を要する立場上、現在は老人施設で暮らされています。
マネージャーさんのお話しによると、ご主人の死去については、
どの程度理解されているかは、定かでないそうです。
それでも施設では、周囲の皆さんと打ち解けて明るく生活しておられるとのこと。
その大山さんが30年ほど前に語られたお話しです。
子供が好きで好きで、夫婦ともに早く赤ちゃんをと願っていました。
結婚7年目にやっと念願の「おめでたです」と言われる日が訪れました。
大山さんは、夫婦して喜びで涙が浮かびました。
予定日までの毎日は、お腹のふくらみとともに喜びもふくらんできます。
少しずつ、赤ちゃんのものを整えて、
家の中は赤ちゃんモード一色に変わっていきました。
しかし、大山さんに神様の残酷な試練が訪れます。
予定日の一月半前に、赤ちゃんは未熟児として生まれます。
さらに、先天性の心臓欠陥があり、即保育器での治療体制になりました。
そして、悲しいことに、赤ちゃんは三十七日しかこの世に生きず、
亡くなってしまいました。
大山さんは、大変なショックを受け、二ヶ月経つまで退院できないほどに、
心が弱っていました。
退院の日が近づき、最も気になっていたことがあります。
それまでの数ヶ月間、赤ちゃんのためにせっせと取り揃えた色々な物。
それが、さらにつらさを増幅されるのじゃないか、という懸念でした。
赤ちゃんのための準備で、淡いピンク色に染まったようなわが家。
そんなわが家を誰が片付けてくれるでしょう。
大山さんは、そこへ戻るのが怖くて、
入院生活を長引かせていたようにも思えるほどでした。
自分よりもっと辛い思いをしているご主人のためにも、
早くすべてを片づけなければ・・・。
恐ろしい物に立ち向かうような気持で、
大山さんは家のドアを開けたそうです。
ドアを開けてわが家に入り、
大山さんは、あっと驚きの声をあげました>>>
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大山さんが一歩踏み入れたわが家。
そこは、まるでこの数ヶ月間のことが無かったみたいに、
それどころか、一年前と同じようになっていたのです。
誰が、こんな風にしてくれたのかわかりません。
ご主人では気がつかないような押し入れの中、タンスの引き出し、
すべて何一つ赤ちゃんを思い出すような物は、きれいに無くなっていたのです。
ご主人に問いかけても、もう忘れるしか方法の無い痛みに触れるのが恐ろしく、
何も言わず、どなたかの好意に甘える気持になったそうです。
それ以降、何気なく見ていたテレビに可愛い赤ちゃんが映るとき、
赤ちゃんの笑い声や泣き声が聞こえるとき、
それだけじゃなく、子犬や子猫が出るシーンでさえ、
大山さんは苦しくて、テレビを消すような毎日を過ごします。
ある日のこと、
「たまに外へ出てみない」とお友だちが誘ってくれました。
温かい紅茶と手作りケーキに何気ないおしゃべり、
久しぶりに大山さんの気持も和んでいました。
そんなとき、急に大山さんの耳に赤ちゃんの泣き声が聞こえてきました。
一瞬、ドキンとすると同時に、表情がゆがむのが自分でもよく分かったといいます。
きっとご近所のお宅の赤ちゃんの声だったのでしょう。
そこに座っているのが辛くなった大山さんに向けて、
お友だちがさりげなく言いました。
「あら、ニャンコね。この頃、猫ちゃん達、恋のシーズンらしくてうるさいのよ」
と、立って窓を閉めに行き、
ちょうどかかっていた音楽のボリュームを少し上げてくれました。
決して猫の声ではなかったと大山さんは、確信していました。
はっきりと赤ちゃんをあやすママの声も聞こえたのです。
でも、お友だちは猫の鳴き声だと言いながら、
大山さんにそれを聞かせまいとしてくれました。
その心づかいが嬉しくて、また大山さんは涙がこぼれ落ちました。
心が弱っているときの、温かい心遣いは大山さんの深いところに届いたのです。
大山さんは、ハッと瞬間的に気づきました。
家の中をすべて片付けてくれたのは、彼女だったのだと。
そして、思い出したのです。
彼女もまた、何年か前にお子さんを亡くしておられたのです。
大山さんは、忘れたい思い出ながら、
あの時のお友だちが示してくれた心遣い、友情だけは、
決して決して忘れず、心の中の石に刻みこんでいるそうです。
参考本:PHPベストセレクションより、
「赤ちゃんの泣き声」を参考にしています。