1991年に85歳で亡くなられました。
自分の好きなことをやり、豪放な人生を送った本田宗一郎さんですが、
それを影のように支えていたのは、奥さんのさちさんでした。
さちさんは、結婚式その日から宗一郎に驚かされます。
お色直しの間、宗一郎は、芸者に三味線をひかせて
どんちゃん騒ぎをしていたからです。
終戦直後、宗一郎が収入もなく遊び暮らし、
貯金を食いつぶす日々であったときも、
夫・宗一郎のことを信じて疑わなかったそうです。
「あの人はきっと何かやる人だ」
奥さんのさちさんが確信を持っていた通り、
本田宗一郎は大きな仕事をいくつもやり遂げました。
そんな宗一郎が、亡くなる直前の真夜中のことでした。
さちさんに、懇願して頼むことがありました。
それは、とても世界の本田の最後にしては、
信じられないほどささやかなものでした>>>
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宗一郎の頼みとは、これでした。
奥さんのさちさんに
「自分を背負って、病室の中を歩いてほしい」と頼んだのです。
さちさんは、点滴をぶら下げた宗一郎を背負い、
ゆっくりと歩いて回ったそうです。
そして、宗一郎は、
「満足だった」という言葉を残して亡くなります。
彼の親友だったソニーの井深大は、こう述懐しています。
「外で好き勝手なことをやっていられたのも、
本田さんがいつも心から奥さんに甘え、頼っていらっしゃったからでしょう。
最後まで奥様に甘えることができた本田さんは本望だったろうと思うのです」
そして、宗一郎が最後に妻に望んだのは、
「背負ってもらう」というスキンシップでした。
世界の本田の最期は、
まるでお母さんの背であやされる幼子に戻ったのかもしれません。
人は言葉以上に肌の触れ合いを求める生き物なのでしょうね。