べストセラーになった小説『海賊とよばれた男』のモデル出光佐三さんのお話しです。
サムライの魂を持つビジネスマンと呼ばれ、出光興産の基礎を作った人です。
原子爆弾が広島・長崎に落とされ、1945年8月15日に日本は敗戦を迎えました。
その日、出光佐三はこう言い放ちました。
「さあ、これからは、僕がアメリカと戦争をする番だ」
佐三の腹のうちはこうだったのです。
「日本は負けたのではない。日本の真の姿を全世界に示す絶好の機会が訪れたのだ」と。
海外に主力の事業を移していた出光興産は、敗戦で全事業が消滅していました。
通常の経営判断ならば、ここは残る社員を解雇して身軽になるのが常道です。
当時の全社員数は1006人。
「ひとりもクビにしない。全員引き取る」と佐三は宣言しました。
仕事も設備もお金も何にもない、すべてを失くした状態で、この判断は周囲を驚かせました。
無茶苦茶だ、無理だ、という評価が大勢であるなか、佐三はこうも言い切りました。
「三度のメシが食えないなら、ニ度に減らしても人員整理はしない。
会社がいよいよダメになりよったら、みんなと一緒に乞食ばするまでだ」
「出光はおかしくなった」「やけくそで自殺した」など、
まことしやかな噂が流れても佐三は平然。
社員たちの前でこう演説しました。
『私はこの際、諸君に三つのことを申し上げます。
1.愚痴をやめよ
2.世界無比の(日本の)三千年の歴史を見なおせ
3.そして今から建設にかかれ』
この演説は、敗戦からわずか2日後のことでした。
そして佐三は、早速に焼けてなくなった社員名簿を作らせました。
それが完成した際には、心から嬉しそうにこうつぶやきました>>>
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佐三は、社員名簿を見てこうつぶやきました。
「ほう、これが俺の財産目録か」
お金が財産じゃない。社員たちこそ最高の財産だというのです。
その後、佐三は戦前に収集していた書画骨董の類を売りに出し、足りない分は借金をしました。
そして、すし詰めの満員列車に乗り込み、自らその足で社員たちの実家を訪ねて回りました。
当面のお金に困っている社員にはお金も渡しました。
このとき佐三60歳。すでに還暦を迎えているのです。
どんな逆境だろうが、1006人、ひとりもクビにしない。
なぜなら社員は家族だからだ。
この時期の出光興産、本業は石油販売でしたが、
生き延びるために、やれることは何でもやりました。
ラジオの修理から印刷業、さらに農業をし、醤油づくりをし、定置網漁までやりました。
それもこれも、佐三の家族愛に心を打たれ、社員たちが一致団結したからです。
そして、戦後の大混乱を家族みんなで乗り越え、再び石油販売に復活しました。
もちろん、ひとりもクビを切ることなくです。
参考本:明日が見えないときキミに力をくれる言葉
出版:SB文庫
著者:ひすいこたろう