「愛と死を見つめて」という物語が、その昔、大流行しました

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せになりたい」とか「どうしたら幸せになれるの?」
とかの声は山ほど聞きます。

だけど「幸せを手に入れた」という声は滅多に聞きません。

なぜでしょうか?

『幸せを手に入れるんじゃない。
 幸せを感じることのできる心を手に入れるんじゃ』

とは、甲本 ヒロトというミュージシャンが言った言葉です。

それでは、どうやって幸せを感じることのできる心を、
手に入れることができるのでしょうか?

もう、そうですね、半世紀ほども前になるでしょうか?

「愛と死を見つめて」という純愛物語が大きな話題を呼びました。

後に映画やテレビドラマにもなりました。歌でも歌われました。

純愛物語ですが、実話が下敷きにされています。

大島みち子さんは、高校2年生の時、
顔面の軟骨肉腫という病気で、入退院を繰り返していました。

同志社大学に入学できましたが、再発して入院します。

大島さんは、ある大学生と知り合いになり、
互いに手紙を取り交わす間柄になりました。

でも、とうとう二人は一緒になれずに、
彼女は21歳の短い生涯を病院のベッドの上で閉じました。

彼女が書き残した日記を集めたのが、
「若きいのちの日記」。

その冒頭には、次の文章があります。

「病院の外に、健康な日を三日ください。一週間とは欲張りません、
 ただの三日でよろしいから、病院の外に健康な日がいただきたい」

大島さんには、もしその三日があれば、こうもしたい、ああもしたい、
という望みがありました。

さて、ここでよろしければ想像してみてください。

あなたが、明日をも知れない命だったとして、
そして、三日という時間が与えられたとしたら…。

大島さんの希みに目を通す前に、1分でも30秒でもいいですから、
わが身に置き換えてお考えいただければと思います>>>

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島みち子さんの三日間の希みはこうでした。

「一日目、私はとんで故郷に帰りましょう。
 そして、お爺ちゃんの肩をたたいてあげたい。
 母と台所に立ちましょう。
 父に熱燗を一本つけて、おいしいサラダを作って、
 楽しい食卓を囲みましょう。
 そのことのために一日がいただきたい」

「二日目、私はとんであなたのところへ行きたい。
 あなたと遊びたいなんていいません。
 お部屋の掃除をしてあげて、ワイシャツにアイロンをかけてあげて、
 おいしい料理を作ってあげたいの。
 そのかわりお別れの時、優しくキスしてね」

「三日目、私は一人ぼっちで、思い出と遊びましょう。
 そして、静かに一日が過ぎたら、三日間の健康をありがとうと、
 笑って永遠の眠りにつくでしょう」

いかがでしょうか?

僕を含めて、ここを読んでおられる多くの方には、
ほとんど当たり前のように動かせる身体があります。

そして、明日も明後日も、
当たり前のように訪れるであろう自由な時間を持っています。

冒頭紹介した甲本ヒロトさんの、
「幸せを感じることのできる心」とは、
日常、目の前にある「当たり前」に感謝したり、
「当たり前」の中の奇跡に気づくことと関係が深いように思います。

また大島さんの三日間の使い方にも胸を打つものがあります。

彼女は大切な一日を、家族の喜びのために使いたいといいます。

さらにもう一日は、大切な彼のために使いたいといっています。

「あなたと遊びたいなんていいません」という言葉には、
ただ、愛する彼が喜ぶことをしてあげたいという一途な気持が感じられます。

そして、最後の一日は、それまでの自分の人生と向き合い、
健康な三日間に心から感謝する。

その三日間は決して「当たり前」なんかじゃない。

夢であり、奇跡の三日間だから、
彼女は眠りにつく前に「ありがとう」と言います。

自分の死を悟った大島さんが、大切な時間を自分のためでなく、
人の喜びのために使いたいといっています。
……自分にこんな選択ができるのだろうか、
と考え込んでしまいます。

最後に瀬戸内寂聴さんの幸せについての説話をご紹介します。

「どうしたら幸せになるかといえば、
 まず自分の幸せよりも、他人の幸せを考えること。
 そうしたら、自分の幸せが、自然に達せられます」

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