今、私生活の乱れやスキャンダルめいた話題に事欠きませんが、
本来はあれだけの人気を博した選手です。
また厳しいプロの世界で耐え抜いた一流の選手です。
過去の栄光だけで終わってはいけません。
また清原さんの悪い話が本当だとしても、
選手時代のこんな自分を思い出してほしい。
そんな応援の意味を込めて、清原さんのお話です。
巨人に移籍後、怪我に泣かされるシーズンが続いた清原選手。
肉体面のみならず、精神面の甘えも叩き直したいとの思いで、
ある年のオフ、弟分の広島(当時)金本選手とともに、
とある郊外の寺にこもりました。
この寺の修行メニューに、ガンガンに焚かれた火に
極限まで近づいて、念仏を唱えるという荒行がありました。
屈強で鳴らす清原・金本でさえ、2、3メートル近づくだけで
その熱気にやられ、とても念仏どころではありません。
「こんなん無理やで。できるわけないワ」
「なんもこんな思いしてまで修行せんでもええやん」
そんな気持ちにもなり、2人は何をするでもなく火を眺めていました。
ふと見ると、1人の少年が火に向かって歩いています。
驚いた2人はその様子を見守っていましたが、
少年はまったく動じることがありません。
焚き火からわずか1メートルのところまで近づき、
直立不動で念仏を唱えだしたのです。
「たいしたガキやな…」
清原選手は、ただ呆然とその姿を眺めるだけでした。
そのあと、清原選手は、寺の住職に例の少年について尋ねました。
その話を聞き、清原選手は愕然としました>>>
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住職の話です。
「ああ、あの子ですか。あの子は、何百万人に1人という難病に
冒されていて、余命半年もないと医者に言われたんです。
日本中の医者に診てもらったんですが、どの医者もさじを投げました。
しかし、彼は生きる希望を捨てていません。
母親とともにこの寺を訪れ、あらゆる可能性を求めて修行しているんです。
あの火の熱さなど、彼がこれまで耐えてきた苦しみに比べれば
生易しいものです」
それを聞いた清原選手は、次の日から少年の横で念仏を唱えていました。
少年とはほとんど口を聞くこともありませんでしたが、
少年の思いは、隣にいるだけで痛いくらいに伝わってきたそうです。
そして開幕してまもなく、その少年は息を引き取りました。
清原選手は葬儀には出られませんでしたが、
その代わりに自分のバットを彼の棺に入れてもらいました。
少年の死に際し、清原選手は一言だけコメントを残しました。
「○○君には勇気をもらいました。ありがとう」