1977年、巨人の王貞治選手が放った世界新記録(当時)の
756号本塁打を被弾したのがこの人でした。
元ヤクルト投手、鈴木康二朗さん。
鈴木さんは2019年11月に70歳でお亡くなりになっています。
その鈴木さんの勝負師としての気概をお伝えしたいと思います。
誰もが勝負を避けていた場面で、敢えて勝負を挑んだ度胸は、
結果的に球史に残る記録につながりました。
その鈴木さんが10年ほど前のインタビューで語った談話です。
35年前のあのとき。打たれたら不名誉な記録となりますから、
ほとんどの投手は勝負を避けていました。
フルカウント。
でも、ぼくは四球が一番嫌いです。
王さんは沈むボールが好きではなかったので、
「打てるものなら打ってみろ」という気持ちで、決め球のシンカーを投げました。
ちょっと高かった。
高めのシンカーは棒球です。
痛烈な打球は低かったので、フェンスに当たるかと思ったのですが、
打球はそのまま右翼席へ飛び込みました。
直後の感想は「ああ、打たれちゃった。(不名誉記録は)俺か」でしたね。
その日の夜は、悔しくて1人で飲みました。
でも、次の日には「悔やんでも仕方ない」と気持ちを入れ替えることができましたね。
その日に打たれなかったとしても、みんな逃げているわけだから、
また自分が打たれる巡り合わせになるかもしれないし、とも。
歴史的な本塁打を許した投手には、
サイパン旅行が贈呈されることになっていましたが辞退しました。
旅行ほしさに打たせたと思われては腹が立ちますから。
副賞は打たれたあとに「実は懸賞がかかってまして…」
という風にもってきてくれないと(笑)。
でも打たれてよかった。
鈴木さんは、いろんな意味で「本当に」打たれてよかったと思っています。
その勝負師らしい気概と、
打った王さんへの配慮を感じさせる談話が好感を呼びます>>>
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でも、打たれてよかった。
これをきっかけに、燃えることができて成績は上がったわけですから。
この年14勝、翌年13勝でチームは優勝。
これで自分の成績が悪くなったら、王さんにも悪い気がしましたから。
僕はマウンドに上がると強気になれるのですが、
マウンドを降りるととても気が弱いんです。
プロ入りのときも、周囲には気が弱すぎて無理だといわれていました。
それがプロで14年もできたのは、
「さあ、打ってみろ」とシンカーをストライクゾーンに投げ続けてきたからでした。
だから、それで打たれたならいいじゃないかと。
王さんには「ありがとうございました」という気持ちです。
打たれたおかげで成績を上げることができたわけですから。
その後、王さんと話をする機会はありませんでしたが、もし会えたらそう伝えたいですね。
逃げない、逃げないから負けても悔いがない。
負けた屈辱は、その後の勝負のバネになる。
王さんのためにも(大記録が本物である証明のためにも)、自分が強くありたい。
そんな鈴木さんの勝負師魂が静かな共感を呼びます。