担任していたクラスには、
自閉症のA子さんとダウン症のB子さんの、二人の女の子がいました。
給食の時間はずいぶん苦労しました。
食べ物をこぼし、口の周りは汚れ、
食べてみて美味しくないものは吐き出す始末。
私は二人を左右にすえて、ティッシュ、雑巾、タオルを構えて、
食べさせるのに奮闘していました。
他の先生からも「給食時間は大変ですね」と声を掛けられ、
自分はいいことをしていると思い込んで頑張っていました。
ところが、五月の連休明けの頃、クラスの子どもたちが、
「給食を一緒に食べたくない」と言い出しました。
私はその声を無視するわけにもいかず、
ハンディキャップをもっていても頑張っていることの意味を話して、
学級会でみんなに考えさせることにしました。
しかし、話し合いを進めるうちに矛先は、私に向けられたのです。
「先生はコスかもん(ズルイという方言)」と言うのです。
自分はこれだけ一生懸命しているのに、まだ子どもだから、
この大変さは理解できないことなのだとムカッとしましたが、
その気持ちを抑えて、
「どうしてそう思うんだい?」と聞きました。
すると子どもたちからは、思いがけない言葉が返ってきたのです>>>
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子どもたちの言葉をまとめると、こうです。
「前にA子さんとB子さんのお母さんが来て、
一緒に給食を食べていたときには、ティッシュやタオルを持っていなかったよ。
こぼれたのは全部お母さんが食べていた。
でも先生はふきとって捨ててしまうじゃないか」
と主張するのです。
私は、母親同然にはなかなかできないなぁと思い、
ためらっていると、
「A子ちゃんたちもこぼれたのは自分で食べたらいいよ」
と言います。
自分で食べられないから、苦労をしているのにと思いながらも、
大変さが分かればすぐ頼ってくるに違いないと考えたので、
「では、みんなが言うようにしよう」
と学級会は一旦終わりになりました。
それからというものの、
子どもたちと机を並べて食べるようになったA子さんとB子さんは、
周りの子どもたちから矢継ぎ早やに注意を受けていました。
それでも、二人は必死に頑張っているようでした。
二人が「もう食べたくない」といつ投げ出すか、
私はひやひやしながら見ていました。
やがて一か月が過ぎた六月頃、二人はほとんどこぼさず、
汚さず、吐き出さずに食べられるようになっていました。
私はクラスの皆をほめました。
それは同時に私の敗北宣言でもあったと思います。
私は、二人は上手に食べられないのだと決めつけて、
自分が食べさせなければとばかり思っていました。
つまり、子どもの伸びる能力にふたをしていたのです。
「先生はズルイ」と言われても、
子どものくせに生意気を言うな、としか思っていませんでした。
子どもの発想は素晴らしいと感動したエピソードでした。
参考:PHP「特集」悩みすぎない、ひきずらないより