漫画家の赤塚不二夫先生は、
まだタレントの原石に過ぎない人の才能を見抜く達人でした。
そのうちのひとつ、キャロルがデビューした時、
必ずビッグになると予言したのは赤塚先生でした。
ご自身の作品の中でも、
登場人物に「キャロル、キャロル」と言わせてました。
まだ何物でもなかった矢沢永吉の中にダイヤの原石を見出した人です。
また今ではテレビ界に無くてはならない存在のタモリさん。
タモリさんがまだ不遇のころ、
赤塚先生に厄介になってた話は有名ですね。
タモリさんの場合は、むしろ赤塚先生に
その稀有な才能を発掘された人と言っていいかもしれません。
漫画家として大活躍の頃の赤塚先生とタモリさんのお話しです。
いずれ、タモリさんが世に出ることが見えていたのでしょうね。
赤塚先生は、タモリさんの一時期の生活の面倒を全てみてあげてました。
かなり贅沢な生活をさせていたようです。
たとえば、4LDKのマンションに住まわせたり、
ベンツを好きなように乗り回すのを許したり、
お小遣いとして月30万円も提供したり。
やがてご承知のように、タモリさんはテレビ界の大御所的存在になりました。
生々流転、赤塚先生の方は、やがて連載が無くなったり、
病気が重なったりで、晩年にやや辛い時期を迎えることになります。
そんなとき、タモリさんは恩人赤塚不二夫先生にどう報いたか、
また赤塚先生は、それにどう応えたか。
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タモリさんは、やや困窮していると見えた赤塚先生に、
次のような申し出をします。
「先生は僕の会社の役員だし、会社の都合もあるから
毎月30万円振り込ませてください」
「先生のベンツ、あの乗り心地が忘れられないから譲って下さい、500万円で」
こんなふうに、赤塚先生のプライドを損ねないように配慮しながら、
タモリさんはお金の振り込みを実行しました。
しかしながら、赤塚不二夫先生が亡くなった時、
机の整理をしていた遺族が発見しました。
タモリさんの振り込んだ金額が、そのままおろされずに残っている預金通帳を。
赤塚先生は、マネージャーの方に言ってたそうです。
『芸人ってのは食えなくなるときが来るんだよ。
そのときには俺がタモリを食わせてやるんだから』