私は、かつて、アメリカに住んでいました。
長女は当時一歳半。ベビーカーに乗せて連れまわっていました。
ある日、スーパーを出た後、醤油を切らしていたことを思い出し、
東洋食品の店に向かいました。
醤油ひと瓶の買い物だからと軽い気持ちで、
表に置いたベビーカーに娘を残したまま店内に入りました。
やがて出てきてみると、現地の老人が怖い顔で腕を組み、
ベビーカーの脇に立っているのです。
「あなたのベビーカーか?」
念を押した老人は、そうですと答えた私の前にズイと歩を進め、
怒気をはらんだ目で立ちはだかりました。
その老人はなぜ私に怒りをぶつけた?>>>
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老人の眼の中に稲妻のような怒気を見ました。
その老人は、激しい言葉で私に説教をたれたのです。
「いいかご婦人!クレージーな人間はどこにでもいる。
さらっていかなくても、面白半分、子供を車道に放り出すヤツだっているんだ。
子供の手を1分たりとも離しちゃいかん!!」
英語のヒアリングの下手な私にも、その気迫は十分伝わりました。
私はひたすら「サンキュー」と「ソーリー」を繰り返すばかりでした。
老人のあまりの迫力に、私は涙をうかべてしまいました。
だけど、後になって思ったのです。
あの老人は、通りすがりにも関わらず、
しかも、同じ国の人間ではないのに、
東洋人の子供が放置されているのを見て放っておけなかったのです。
母親が戻ってくるまで、そばで見守ってくれていた老人。
しかも、同じようなミスを繰り返さないように、
火の出るような叱り方をしてくれたのです。
誰がみずから嫌われ役を好んでやることでしょう。
あの方が、どこの国の方で誰なのか、とうとう知りえずアメリカを発つことになったのが、心残りでなりません。
参考本:涙が出るほどいい話 河出文庫 小さな親切運動本部編