在宅ホスピスケアの先生が書く卒業証書

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宅でのいのちの看取り、在宅ホスピスケアを二十年続けている
N先生の手記の一部をご紹介します。

事業で成功を収めたある六十五歳の男性は、
がんを二年前に発症され、治療を続けてきました。

しかし、積極的治療がもうできないと宣告されました。

それからは、お金に糸目をつけず代替医療を何でも試しました。

残念ながら、どれも効果がなく、
とうとう体力も落ちて車いす生活になってしまいました。

私の往診が始まりました。

豪華な家から眺める絶景も、奥さんの心のこもった料理も、
子どもたちの優しい声掛けも、ナースの助けも、
この男性の救いにはならず、無反応になり、

人生を呪う言葉さえ吐くようになりました。

夏でした。

この土地では時に四十度近くの猛暑になります。

私や看護師は吹き出る汗をぬぐいながら往診しました。

クーラーのきいた病室に入ると、その男性は突然
「先生、僕はもう死にそうだよ」
と真顔で、大声で私に言いました。

それは何か私への試験のようでした。

その男性は本当にもう余命短く、死にそうなのです。

そこに居た家族も看護師も、全員凍りつきました。

私はすぐに答えました>>>

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うですか?私たちもですよ。
 この暑さで死にそうです」

その男性は「確かにそうだ」と言うと、
ワハハと大声で笑いました。

久しぶりの笑いでした。

その日から、心のうちを少しずつ
話してくれるようになったのです。

自分がどんなに一生懸命働いて成功したのか、
どんなに家族や従業員を愛しているのか、
どんなにもっと生きて働きたいのか——。

「少し前まで、世の中は灰色だった。
 でも昨日の夕焼けが美しかった。
 富士山も星空もきれいだった。
 僕は死んでしまうのに、世の中はこんなに美しいんだ。

 心が少し戻ってきて、色々とこれまでのことを
 振り返ることもできましたよ。
 僕の人生合格点だったかなぁ」

そして、好きな音楽を聴くようになりました。

ある日、妻に危篤になったら耳元で、
「さだまさし」をずっとかけてくれと頼んだそうです。

実際に危篤になった時、
妻は約束通り歌声を聴かせ続けました。

唇に笑みが浮かび、口ずさんだように思えた最期のひと時でした。

≪中略≫

私は在宅で看取りの仕事をやり遂げると、
万感の思いで死亡診断書を書きます。

それは今世での宿題をやり遂げた方への
卒業証書なのだと自分では思えるからです。

誇らしい思いとともに、困難に立ち向かい合う姿から、
私たちに多くのことを教えて下さったことに
感謝の思いでいっぱいになるのです。

参考:PHP特集「心が折れない生き方」より

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