前日の夜、飼い犬のシロが死んだ。
私が生まれる前から我が家にいた大きな真っ白の雌犬だった。
優しい性格で、私にとっては姉のような存在だった。
学校に行く道すがら、ずっと涙がこぼれていた。
二年生の教室に着いて椅子に座っても
心の中はシロのことで一杯だった。
先生が入ってきた。
笑い声が大きい、とびきり明るくて、
どこか私の母に面影が似ているS先生だ。
先生は私の顔を見るなり、
「どうしたの?」と聞いた。
私はしかめ面に涙をいっぱい浮かべていた。
答えようとしたけれど
「シロが…、シロが死んで…」
と言うのが精一杯だった。
先生は、
「そうかぁ、今日は悲しい日やな。
思う存分、泣いてもええで」
涙が次から次へとこぼれた。
そこが教室でも止まらなかった。
先生は、普通に授業を進めた。
友達も先生も、それきり何も言わなかった。
私は何ものにも邪魔されずに、
枯れるまで涙を流すことが出来た。
私たちが通う山間の小学校は、人数が少なく、
二クラスしかなかった。
私は、一年生から六年生まで、
変わらずS先生が担任だった。
母に似ている先生が私は大好きで
何かと甘えたり、ひっついたりしていた。
うちは母子家庭だったので、
母は働きに出ていて不在気味だった。
そのせいもあって、
先生は「お母さん」のような存在でもあった。
実際、私は先生のことを何度も、
「お母さん」と言い間違えたが、
先生は「お母さんちゃうでぇ」
と笑いながら頭を撫でてくれた。
夏休みや冬休みになると、
先生に会えないのが寂しくて、
学校に行ったり、先生の家に遊びに行ったりした。
先生は、私が一人で突然訪れても
迷惑な素振りも見せず、
いつも優しく受け入れてくれた。
皆の先生なのだけど、私にとって特別な人だった。
6年生になって
冬を越した頃、先生は病気になった。
丸くて艶々した顔が、見る間に細くなっていった。
私たちは心配で、何度も
「先生、早く元気になってやぁ」と言った。
2月に、先生はとうとう学校を休むことになった。
担任は臨時で、教頭先生が兼ねた。
卒業式の前日、
先生から家に電話がかかってきた。
「卒業おめでとう!
6年間、よく頑張ったなぁ、
先生、卒業式に行けんでゴメンなぁ」
私はその声を聞いて、すぐに涙があふれた。
涙声で、
「先生、卒業式にはこれへんの?」と聞いた。
先生は、
「一足先に電話で卒業式やね。
声だけやけど、顔が目に浮かぶで。
また泣いてるんか?
小さい時から変わらへん泣き虫やなぁ。
でもそれは、アナタの良いところやな。
優しい証拠の涙やな」
卒業式でS先生の電話のことを、クラスメートに話したら、
一人一人、みんなの家に電話があったらしい。
先生は、私たち皆を心から可愛がってくれた。
卒業まで担任が出来なくて残念だっただろう。
それから私たちは山を降りて
マンモス校の中学生になり、
部活や新しい友人との毎日に埋没していった。
高校に入り、大学生になり、
その頃、初めて先生が亡くなったと聞いた。
卒業式のすぐ後だったという。
なぜ知らせてくれなかったのか…>>>
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今からでも先生のお墓にお参りしたい、
そう思って、私は先生のご実家に電話をかけた。
先生のお母さんが出られて、
先生の生前のご意志で、子供たちには
その死が知らされなかったのだと聞いた。
「優しくて大好きな子供たち、
その門出を力いっぱい元気に祝ってあげたい。
先生の死を悲しまないで。
先生はいつも皆のことを見守っています」
お母さんは、それだけ告げて電話を切られた。
先生…
私は涙をこらえることも出来るようになったよ。
悲しくても、
それを乗り越える力も身につけたよ。
2年生だったあの時、
先生が思いっきり泣かせてくれたから…。
今の私は、悲しくてたまらなくても、
先生の笑顔を思って、笑うこともできる。
でもやっぱり、涙が少し頬を伝った。
『優しい証拠の涙やね』
先生、ありがとう。
先生、大好き…。
引用元: (NTT西日本コミュニケーション大賞より)