10年前の今頃、おっちゃんは経営コンサルタントとして、
ある自転車販売会社へのネットショップ導入の仕事をしてました。
その時、書いてたある日のブログです。
明日、クライアントの職場のTさんの盛大な送別会があります。
Tさんは、62歳。この会社に46年間勤務しました。
46年ですよ、46年。
この職場での、このお仕事がTさんの人生の大部分を占有してきたことになります。
Tさんは、集団就職、当時の金の卵として、この会社に就職しました。
以来この会社から夜間高校に通い、仕事を身につけ、結婚し、
家庭を築き、子供を社会に送り出し、仕事で業績を残し、
そして来週退職していかれます。
このような方と、ほんの少しの間でも触れ合うことが出来、僕も幸せでした。
Tさんは自転車の生き字引のような方です。
何を聞いても知らないことはありません。
また多くの取引先の方から、Tさんご指名の電話が毎日数多くあります。
営業社員からは、毎日、取引先の相談事を持ちかけられています。
こんなに周りに頼りにされながら、会社を去られるのは、
大変もったいない気がしますが、ご本人の健康という事情もあり、
止むを得ないことです。
いつぞや僕は、Tさんに頼みごとをしたことがありました。
インターネットで扱うパーツ関係の資料が欲しかったのです。
Tさんには、小さく多岐に渡るパーツの原価表をつくってもらいました。
その書類のきちんとしている様子には驚きました。
日頃は、エクセルでの作表に馴染んでいるので、
手書きで作られた丁寧な諸表にはなんとも言えない感慨を覚えたのです。
僕は、ほんとに助かったし、また新鮮な驚きもあったので、
Tさんには厚くお礼を申し上げました。
そして、しばらく後、別の場面でも、そのことを持ち出して、
さらに「ありがとうございました」を申し上げた時には、
なぜかTさんは、機嫌の悪そうな表情になって、こう言われました。
「そんなに杓子定規(しゃくしじょうぎ)に、何度もお礼を言わなくてもいいですよ」
なぜTさんが不機嫌な表情になったのか、
後日、Tさんの昔話の中から合点する部分を見つけました>>>
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Tさんは、亡くなった先代の社長に並々ならぬ恩義を感じています。
先代社長には、家族同然の扱いをしていただき、
当時の金の卵は、いたく感激したそうです。
例えば、社長宅を訪ねる時、家のドアをノックして入ろうとした際には、
えらく叱られたとのことです。
「ここをどこだと思ってるんだ。ここは人の家ではないぞ。
自分の家に入るのにドアをノックしてはいる馬鹿者がいるか。
早くここに座ってメシを食え」
中学校を卒業して、心細いままに社会に飛び込んだT少年にとって、
こんな温かさがどれほど心の支えになったか、想像に難くありません。
TさんはTさんで、この社長のためだったらどんなことでもやってやる、
という侠気を駆り立てられたようです。
新設の支店や、新規開拓の営業拠点などには、
必ずTさんが斬りこみ隊長となって活躍されました。
Tさんが先代社長の懐刀であり、鉄砲玉であり、
火の玉小僧であった様子が、今のTさんの風貌からもよく想像できます。
Tさんは、一緒に働く仲間の遠慮が嫌いなのです。
先代社長が、「ドアをノックしてはいる馬鹿者がいるか」と叱ったのと同じ意味で、
仕事仲間が協力しあうのは当たり前じゃないか、
それを何度も遠慮気遣いして「ありがとう」を伝えるのはおかしいじゃないか、
Tさんはそう言いたかったのでしょう。
思えば、日本のこれまでの経済社会を築き上げてきた背景には、
勤勉さ、実直さ、生真面目さ、などなど日本人の高い労働倫理が
厳然としてあったからだと思います。
その労働倫理に、グイッと焦点絞り込めば、
個別には先代社長とTさんとの関係性のような「自分以外の誰かのために・・・」
という価値観が自然に根付いていたのではないかと思うのです。
世の中に多くのTさんが存在していたのです。
こんなお話は古臭いでしょうか?
僕はちっとも古臭いとは思いません。
ニートだってプータローだって、ふてくされ不良社員だって、
根っこには「自分以外の誰かのために・・・」
という価値観を持っているに違いないのです。
ただ普段は、スイッチがオンではなくオフ状態になっている。
または、そのスイッチのありかに気づかないか、忘れている。
そんなものだと思うのです。
だから思うんです。
僕らの役割の大きなひとつは、迷子になった大きな少年達には、
「ワンフォーオール、オールフォーワン」を伝えること、
自ら気づくように仕向けること、ではないかと。