あなたがお亡くなりになってから、もう13年が過ぎました。
25年前の1月17日、わたしとあなたは、
あの阪神淡路大地震で散乱したオフィスの書類をかき分けながら
電話を分担してかけあい、ふたりで社員の安否確認をとっていました。
ふたりとも会社の隣駅に住んでいたから、歩いて会社にたどり着いたのでした。
日ごろ、社員をよく怒鳴り散らしていたK社長、
社員達からは、あまり好かれなかったK社長。
でもあの日のあなたは、息子や娘の安否にうろたえる心細げな父親の姿でした。
コワモテのあなたの、本当の姿をそこに見たような気がしました。
今年の1月17日、わたしは、しこたま飲んで酩酊し、
JR三宮のホームに足元怪しくたたずんでいました。
わたしの酔眼は、ホームの向こう側に、体格のいい白髪頭、
初老のいかつい顔つきを認めました。
K社長、あなたによく似た人がいるもんだと、わたしは目を凝らしました。
目を細めながら、もっとよく見ようと二、三歩、前に進んだら、
目の前を回送電車が風のように通過しました。
回送電車の突風に頬をたたかれ、
わたしはもう一度ホームの向こう側に目を凝らしました。
ホームの向こう側に、もうあなたの姿はありませんでした。
やはり、あれはあなただったんですよね。
三宮から新快速に乗って、大阪方面へ。
わたしは四人掛けのシートに沈み込みました。
そのままついうとうとしてしまいました。
誰かに膝をたたかれました。
わたしの不愉快な酔眼、
その定まらない焦点の結んだ映像は、あなたの姿でした>>>
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「まだあんたひとりなのかい?」
「・・・はいな、そうですとも。ですが、よけいなこってすがな・・・。」
「Aさん、酒ばっかしじゃなく、メシもちゃんと食わなあかんよ」
「・・・はいな、そうですとも。ですが、それもよけいなこってすがな・・・。」
「最近、胃の調子はどうなんや?定期健診は受けた方がいいぞ」
「・・・はいな、そうですとも。ですが、それもこれもよけいなこってすがな・・・。」
そんな会話をかわしました。
あなたが生きてる時は、
いくらなんでもこんなつっけんどんな会話は、しませんでしたよね。
それにしても、生きてる時のあなたとは随分雰囲気が違いました。
K社長、あなたは猛牛のようなところがありました。
学歴がまだ幅をきかせていた時代に、
大卒でなかったあなたが数百人のライバル達を蹴落として、
一部上場企業の常務にまで出世したのですから。
誰もがあなたに一目置いていました。
それでも何だかみんなあなたを怖がっていました。
あなたが子会社の社長として、わたしのいる会社に来てくれた時、
実はわたしは喜んだのです。
やっと社長らしい社長が来てくれた、と心はずみました。
それまでのサラリーマン社長ではない、本気の人がトップで来てくれたと。
そう言えば、わたしは怒りんぼのあなたから
一度も怒鳴られたことがありませんでしたね。
思うに、きっとあなたは、わたしのことをあんまり好きじゃなかったんだと思います。
そういうわたしも、あまりあなたの懐に飛び込むことをしませんでした。
「Aさん、わしはね、いつかああたとゆっくり膝突き合わせて
話しこみたいと思ってたんや」
そう言って、この日のあなたはわたしの目の前で陽炎となって揺れました。
再び膝をたたかれました。
駅員さんから起こされたのです。
「終点ですよ。京都です」
降りる駅、新大阪を寝過ごして、京都まで乗り越したのでした。
また今年の1月17日は、こんな感じであなたと再会したのでした。
K社長、あなたのことを思い出すのも必ずこの日です。
時々、こんな風にあなたと逢うのは、わたしの脳のいたずらでしょうか、
それとも、ほんとにわたしを訪ねてくれているのでしょうか?