助けを求め、人とつながろう

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九州で野宿生活をする人たちの支援を、
約30年間続けている奥田知志さんという人がいます。

奥田さんは、教会牧師を務めるかたわら、
NPO法人を作り、学校を中心に全国を回っています。

NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演したこともあります。

奥田さんの話をご紹介します。


「怠けている」などと言われることの多い彼らですが、
私が出会ってきた人たちはむしろ真面目で、
人に頼ることをよしとしないことが多かったです。

支援活動を通じて分かったきたのは、
野宿には文字通り家がない「ハウスレス」と、
居場所や家族をはじめとする人とのつながりがない「ホームレス」という、
二通りの意味があるということです。

ホームレス状態から脱した人が、
「住む家があっても自分しかいないし、誰も訪ねてこない。
 自分は生きる価値があるのか」
と言うのを聞いて愕然としました。

人は誰ともつながっていないと感じた時に
絶望するのだと思い知りました。

2011年に東日本大震災が起き、
私は石巻市の先にある小さな漁村集落の支援に入りました。

この集落は牡蠣の養殖を主な生業としていましたが、
港も養殖いかだも壊滅状態、
家も船も流されていました。

そこで出会った亀山さんというご夫婦が、
「六十数年生きてきたなかで築いたものをすべて失いました」
と涙を流しながらそう言った後、
「でも今はこの言葉に生かされているんです」
と絵手紙を見せてくれました。

そして今度は泣きながら笑うのです。

その手紙は、九州から届いた支援物資の中に入っていたそうです>>>

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こには花の絵とともに、こんなことが書かれてありました。

生きてさえいれば、いつか笑える日がくる

人はすべてを失くしても、ひとつの言葉に生かされることがある。

その時から私にとっても「笑う」という言葉が生きる中心になりました。

支援を続ける中で亀山さんから、
「してもらってばかりで辛いから、もう支援は結構です」
と言われ、ハッとしました。

「すみません」「ありがとうございます」
と頭を下げ続けるのは辛いものです。

そこで、物資を送るという支援から、
お互いに助け合う「相互多重型支援」を考えました。

支援で修復された港で、牡蠣の養殖を復活してもらう。

牡蠣の出荷作業には生きづらさを抱えた若者たちを雇ってもらう。

つまり亀山さんが若者の就労支援をするわけです。

そして、私たちは通常よりも少し高めの値段で牡蠣を買い、
趣旨に賛同してくれる消費者の皆さんに直接買ってもらう。

復興支援と若者支援をしながら、
おいしい牡蠣を食べられますよと。

漁師と若者、消費者とが互いに支援しあい、
みんなが笑う仕組みです。

「笑える牡蠣」と名付け、みんなでがんばっています。

2013年、私が理事長を務めるNPO法人では、
「生笑一座(いきわらいちざ)」を結成し、
学校を中心に全国を回っています。

野宿という危機を乗り越えてきた当事者が自分たちの経験を語り、
「助けてと言っていいんだよ」
というメッセージを伝えます。

メンバーの一人、Nさんの決め台詞をご紹介しましょう。

「おじさんは野宿をしたことをよかったとは思わない。
 でも野宿していたことはムダではなかったと思える。
 今日こうしてみんなに話せるのは、野宿していたからだ。
 おじさんが”いつか笑える日が来る”と言っても、
 今しんどい子は嘘だと思うだろう。
 でも本当だよ。
 このおじさんがその証拠だよ」

助けを求め、人とつながった時に絶望は希望へと転換します。

そしてマイナスだと思われる経験はプラスになり、
次の誰かを助けるのです。

引用元:PHP特集 人生上を向いて歩こう
「助けを求め人とつながろう」を参考にしています。

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