東京、大阪、名古屋などの首都圏は、公共交通網が充実していますが、
いったん自然の脅威にさらされたら、とても脆いところがあります。
六十数年前の2月中旬、東京には異常な寒波が押し寄せました。
その時の西武鉄道にまつわる、
こんなエピソードを何かで読んだことがありました。
当時の西武鉄道のトップは、堤 康次郎という人でした。
この康次郎が、現在の西武グループの創業者です。
稀代の実業家であり政治家でもありました。
彼にまつわるエピソードは、山師的なものであったり、
しかし世のため人のため志を燃やした偉大な人物像であったり、
毀誉褒貶の激しい人だったようです。
どちらも真実を象徴しているように思えます。
実業界や政界を戦ってきて、少しも手を汚さず名を残すなど、
当時の環境では奇跡に近いことでしょうから。
人から悪人と呼ばれようが、鬼と呼ばれようが、
反面その志に”世のため人のため”という旺盛な社会貢献意欲があった、
そのことは紛れもない事実だと思えます。
ひとりの人間の中には、必ずそんなふうに矛盾する
鬼と仏が共存しているように思います。
六十数年前の東京、夜半から降る雪は激しさを極め、
省線(国鉄)を始めとした鉄道会社は、
終電を切り上げて翌日の雪かき対策に追われました。
しかし、数十年ぶりの寒波は、深夜に至って激しさを増し、
どの鉄道会社も自然の猛威に手を上げてしまいました。
翌朝は、東京都内で1メートル以上の積雪になったそうです。
都内の交通網は、死に体となっていました。
どの鉄道会社もその日の朝は、積雪のため臨時休業となりました。
ところが、ひとつの会社だけは何事もなかったかのように、
定時で運行していたのです。
それが西武鉄道でした。
西武鉄道は東京からやや西寄りの北部から都心に向かって走っています。
北部であるだけに、他の鉄道よりむしろ雪の影響が大きかったのです。
当時のマスコミが西武鉄道の偉業を称えました。
西武の職員さん達700人が、完全徹夜で線路の雪かきにあたったのでした。
職員さん達には、何がなんでも電車を走らせるのだ、という決意がありました。
康次郎は、その話を聞き、驚きました。
「俺は、そんな命令を出した覚えはないぞ。
誰だ?誰かが先導しない限り700人もの職員を動かせるはずがない」
「いや、これは大変なリーダーシップである。
必ず功労者がいるはずだ。その者を探し出せ」
そう部下に命じました。
命じられて、その功労者探しが始まりましたが、
いっこうに功労者は出てきませんでした。
結果、康次郎に命じられた部下は、こう報告しました。
その報告に康次郎は胸を震わせることになります>>>
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700人もの職員を動かした者は誰だ。
その功労者を探せ。
そんな康次郎の命令に対する部下の報告はこうでした。
「皆が口を揃えています。
功労者というならば、700人全員が功労者です」
その報告を聞いた康次郎は、しばし無言の後、号泣したそうです。
「この日ほど、わが社の社員に誇りを持ったことはない。
君たちにまた教えられた。感謝してやまない」
そう言えば、僕の東京での学生時代、各鉄道会社がストライキを決行する中、
「西武はストをやらない」ということで有名でした。
そういう企業風土、企業の文化があったのでしょうね。
いや、今現在も、現場レベルではその精神は引継がれているのかもしれません。
ところで西武グループは、数年前トップが逮捕されるなど不祥事が相次ぎました。
いつかどこかで、トップの中の創業の精神が失われたのかもしれません。
それでも、もし企業風土、企業の文化という言葉が死語でないならば、
西武の現場で汗を流す方々の心の中に
西武イズムが生きてることを信じたいと思うのです。