桂文枝師匠は一人っ子だったせいか、幼いときから
夢想癖があり、絵を描くことの大好きな少年でした。
不思議なことがありました。
小学校一年生の時のことです。
ある日の放課後、先生からクラスの中で数人残って、
教室の後ろに貼るための絵を描くように言われました。
自動車の絵を描くように言われました。
それで文枝師匠は、消防車の絵を描きました。
なんと偶然にもその夜、家の向かいの材木工場に火災が発生したのです。
火は周囲の家を焼き尽くして、二日間も燃え続けました。
文枝さん母子が住んでいた家も燃え尽きました。
そのため文枝さんには、小学校一年生以前の写真が無いそうです。
それ以来、絵は好きだけど、
消防車の絵だけはどうしても描けなくなりました。
あの夜空を焦がした炎の色の鮮やかさが蘇ってくるのでした。
その後文枝師匠は、中学に進んで油絵に触れ、
高校に入学後は、美術教室に通ったりもしました。
文枝師匠には、はっきりと「画家になりたい」
という夢が芽生えていました。
しかし絵にはお金がかかります。
父は戦病死、母が働いて暮らしを支える家計では、
とても画家になる経済的余裕はありません。
冬の寒い日、絵画教室の帰りに、手が冷たくて息をハーッと吹きかけると、
木炭を消すのに使ったパンの臭いがして、
お腹がグーツとなったりしたそうです。
画家への夢は、到底現実になるものではないと踏ん切りをつけ、
いったんは母親を楽にさせるため、
高校卒業後はすぐに就職しようと考えました。
しかし結局は、母の強い勧めもあり大学に進学します。
ただお金はありませんから、
毎日、学費を稼ぐためにアルバイトに明け暮れました。
そしていつの間にか、また子供のころの悪いクセが
頭をもたげてきたといいます。
夢想癖、白昼から夢を見るクセです。
その夢が「落語家になりたい」という思いだったのです。
文枝師匠の落語家になりたかった動機はこうでした>>>
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落語は、絵と違ってそんなにお金もかからない。
自分はあまり笑わなくても、人を笑わせたり、
喜ばせるのが好きだった。
口先、表現の芸だから裸一貫から始められる。
そんなことが、文枝さんの落語家になりたい動機でした。
そんな文枝さんを見て、お母さんはよくグチをこぼしたそうです。
しかし、文枝さんは、今度こそ、
今度こそは自分の夢を叶えたいと強く思い続けました。
でないと、一生、夢を実現できずに
夢想するだけの人生で終わってしまう。
もし落語家になれないのなら、死んでもいいとさえ思いました。
誰だっていつかは死ぬのだ。
それがちょっと早いか遅いかの違いだけの話だ。
それだけ、今度の夢に賭けてみる覚悟の文枝さんでした。
猛反対する母親を説得し、強引に落語家の門をくぐり、
そして早く芸を身につけるべく、必死に努力したといいます。
いくら好きだとはいえ、強い反対を押し切って飛び込んだ世界です。
文枝さんは当面の目標を立てました。
母のために、火事の恐怖のないコンクリートの家を建て、
そこに住んでもらおう。
そんな目標もいつの間にか達成し、
今は落語会の大御所に座する文枝師匠です。
それでも、まだまだ文枝師匠の頭の中では、
少年時代と同じ夢想が衰えていません。
現実と遊離してきた落語というものを、
百年先にまで語り継がれる「文化」にしたいという、
大きな、大きな夢を胸に抱いているそうです。