延岡学園は、準決勝の第二試合まで勝ち進んでいました。
延岡学園の牧野直美さんは、女子記録係としてベンチ入りしていました。
牧野さんには特別の思いがありました。
3年前、彼女がまだ中学3年生の時のことです。
ボーイフレンドの藤井将宏さんは、野球部の中心選手で、
彼はよく言ってました。
「甲子園に行って、プロ野球選手になる」
その将宏さんは、その年の夏、川でおぼれて
14歳の若さで亡くなってしまったのです。
牧野さんは、悲嘆にくれました。
彼に宛てた便箋10枚もの手紙を棺に入れてもらい、
そして決めました。
「私が将宏の代わりに甲子園に行く」
将宏さんが目指していた延岡学園に、
牧野さんは入学しました。
しかし、延岡学園は、女子マネージャーを募集していません。
それでも、牧野さんは、連日、野球部に通いつめ、
監督から入部の許可を得たのでした。
ただ、入部してから、意外な辛さが待っていたのです。
選手の姿が将宏さんの姿と重なってしまうのです。
下校中に、一人で自転車をこぎながら、
泣いて帰ることもたびたびありました。
それでも、牧野さんは負けませんでした。
遅い日は、午後9時ごろまで、黙々と雑用をこなし、
少しもへこたれた様子を見せません。
監督も、当初はいつまで持つだろうか、
との見方をしていたのですが、その見方が徐々に変わってきました。
牧野さんの頑張りに、信頼を寄せる部員が増えてきたからです。
甲子園への出場を決める宮崎大会。
その宮崎大会を制した夏の日のことです。
牧野さんに嬉しい出来事が起こりました>>>
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決勝を終えて、戻ってきた延岡学園グラウンドに、
部員全員が集まりました。
そして、勝利を決めたウイニングボールが、
どこからともなく運ばれてきて、
女子マネージャーの牧野さんに手渡されたのです。
牧野さんは、戸惑いました。戸惑いましたが、本当に嬉しかった。
ユニフォーム姿の多くの部員に囲まれ、
何だか、その中のひとりに将宏さんがいるような気がしました。
将宏さんから褒められているような気にもなりました。
そのウイニングボールは、
「牧野にやってくれ」と、
監督が号令をかけたのでした。
監督は、
「3年間、牧野が一番頑張ったから」
と話しました。
そして、甲子園大会出場。
延岡学園は、決勝まで勝ち進みました。
いよいよあと1勝で優勝というところまで来たのです。
よくぞここまで来たものです。
決勝は前橋育英との一戦。
残念ながら、勝敗は4対3の接戦で惜敗しました。
しかし牧野さんは、アルプス席からの拍手に、思わず震えました。
試合後の挨拶。
涙でにじんだ空に向かって、
心の中で叫びました。
「将宏、甲子園、楽しかったやろ!!」
夏の青空が、どこまでも清々しく澄み渡っていました。