いじめとバッシングのその先に…家田荘子さん

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年前「極道の妻たち」という映画がシリーズでヒットしました。

その小説を書いたのは家田荘子さんです。

家田さんは、今、僧侶としても活躍しています。

その家田さんの手記から一部引用させてもらいます。


私は子供時代に褒められた記憶がないほど、
両親から厳しく育てられました。

一人っ子で口数が少なく、自分の気持をはっきり言えなかったので、
小学校ではある時期、いじめられました。

言葉の暴力や仲間はずれは、どんどんエスカレートしました。

両親や先生に相談できず、孤独で苦しい毎日でした。

自殺する方法を毎日真剣に考えていたのです。

大人になっても辛いことの連続でした。

高校時代から女優をしていましたが、東京に来てから、
悪徳プロダクションに騙されたり、
「色気と身長が足りない」
と言われたりしてうまくいきません。

グラビアに出してほしいと売り込みに行った出版社で、
勧められて書いた六本木の記事をきっかけに、
ライターの仕事が入ってくるようになりました。

当時は風俗を書くと、第一線のライターになれないと言われていたので、
風俗を書く人が少なく、それで私は仕事をいただけたのでした。

まだ女性が、男性世界のマスコミで働くのに苦労した時代です。

山口組一和会の抗争のさ中、
「闘っている男性の後ろで、妻たちはどう思っているの?」
という疑問から始めた取材が、『極道の妻たち』という本になりました。

この本はさらに映画化まで進み、
私のマスメディアへの露出も増えることになりました。

おかげ様で家田荘子という名前も顔も、
これを契機に皆さまに知られるようになりました。

しかし山高ければ谷深し。

その後に待ち受けていたのは、ひどいバッシングでした>>>

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だからできた」「寝て書いた」などと、
今で言うセクハラです。

その後もいい作品を書くたび、叩かれました。

メジャーな雑誌や一般紙までも、私の言い分には耳を貸してくれません。

そしてみごとに私の周りから人が去って行きました。

私を取り巻く状況はまたしてもどん底でした。

朝起きた瞬間に叫びだしたくなるほど苦しい毎日なのに、
社会は何も変わりなく回っています。

とても孤独でした。

「バッシングする人たちの目的は、私が作家としてつぶれること。
 このままだと体まで病気になって、本当につぶれてしまう」
と思いました。

そこで深夜、一人でジョギングを始めました。

「負けない、私は負けない」
と泣きながら延々と走りました。

体が疲れると眠れます。

眠れるようになると食欲も出てきます。

体が健康になるにつれ、心も体に引っ張られるように
健康を取り戻していきました。

私が僧侶になったのは、世の中には苦しんでる女性が
とても多いと思ったからです。

私の取材はその人の人生まるごとを聞かせてもらうことが多く、
一度のインタビューでは終わりません。

何度もお会いしてひたすら話を聞くうちに、
相談を受けることも多々あります。

また子供の頃から「見えないものが見える」ので、
病気や災害で亡くなった人たちが、
供養をせがんで来るのが判ります。

女優を目指していた私が、作家になり、
さらに僧侶になってしまいましたが、
口数が少なく、口下手ということが取材する上での
コンプレックスになっていました。

「ならば下手な喋りをやめて、聞き上手になればいい」と気づき、
一生懸命、人の話を聞くようになりました。

今は取材ということで、会えない人に会えたり、
いい言葉を聞かせていただけるこの仕事に感謝しています。

かつては壁を破ることばかりを考えていました。

でも壁はよじ登って越えてもいいし、
ぐるっと回り道してもいいのです。

受け止め方の大小差はあるものの、
人は平等に喜びも苦しみも与えられています。

だから、与えられたものを受け入れ、
自分の歩幅で歩んでいくことが大切だと思います。

出典 PHPベストセレクション
   「人と比較するのをやめましょう」より

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