二人の娘たちが、それぞれ嫁いでしまった今、
私たち夫婦は、また夫婦二人きりの生活に戻った。
これはことのほか寂しいことである。
先日も妻に言ったものだ。
「定年になったら、ヨーロッパ旅行でもするか」と。
実のところ、私自身は十年ほど前、すでに一人で、
まる三十日間のヨーロッパ旅行をしてきている。
ヨーロッパは、この足で十分に歩いた。
この目で十分に見た。
ところが、不思議な現象が起こった。
帰国後、数年経ってからである。
いつまでたっても、どうも見たはずのものが、本当には見た気がしないのだ。
これはまことに奇妙なことであった。
そう言えば、ヨーロッパの行く先々で、何を見ても何を食べても、
何かが欠けている気がしたことに気づく。
最近になって、どういうことなのかようやく分かった>>>
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思い返すと、こんな気持が湧いてきたのだった。
そんな記憶が薄らいでいた。
ユングフラウヨッホの登山電車の窓から氷壁を見た時も、
ヴェルサイユ宮殿の鏡の間に案内されればされたで、
ああ、今、女房がそばにいて、これを見たらどんなに喜ぶだろうか、
そんな感情がこみあげてきたものだった。
そうだったのだ。
私たち夫婦は、いつの間にか、一人で見たのでは、
二分の一しか見たような気がしなくなっていたのだ。
いつの日か、私は二分の一のヨーロッパ旅行を
本当の一つにしてみたいと、
その日の来るのを待っている。
私たちのヨーロッパ旅行は、夫婦で歩いて、
夫婦で見て、その時はじめて、本当のヨーロッパ旅行になるのだ。
おのろけととられることを書いてしまい、失礼しました。
参考本:『心に残るとっておきの話』潮文社編集部
広島県 Tさんの話を下敷きにしています。