あの哀しみの日から12年の年月が経過しました。
12年という年月が長いのか短いのか。
未だに家族や愛する人たちの喪失を
受け容れられない人がいます。
また、さらに生き残っている自分を責め続ける人もいます。
ある女子大生の相談が読売新聞に投書されました。
その相談と回答の内容がSNSでの反響を呼んでいます。
以下、読売新聞の記事を引用させていただきます。
大学生の女子。何をしてもあのことばかりを思い出してしまいます。
あの日、私は祖母と一緒に逃げました。
でも祖母は坂道の途中で、「これ以上走れない」と言って座り込みました。私は祖母を背負おうとしましたが、祖母は頑として私の背中に乗ろうとせず、怒りながら私に「行け、行け」と言いました。
私は祖母に謝りながら一人で逃げました。
祖母は3日後、別れた場所からずっと離れたところで、遺体で発見されました。
気品があって優しい祖母は私の憧れでした。
でもその最後は、体育館で魚市場の魚のように転がされ、人間としての尊厳などどこにもない姿だったのです。助けられたはずの祖母を見殺しにし、自分だけ逃げてしまった。
そんな自分を一生呪って生きていくしかないのでしょうか。どうすれば償えますか。
毎日とても苦しくて涙が出ます。助けてください。(A子)
この質問に回答したのは心療内科医の海原純子さんでした。
その回答は、A子さんの心に寄り添ったものでした>>>
↓Facebookの続きは、こちらからどうぞ↓
海原純子さんの回答です。
お手紙を読みながら涙が止まらなくなりました。
こんなに重い苦しみの中でどんなにつらい毎日かと思うとたまりません。ただあなたは祖母を見殺しにしたと思っていらっしゃいますが、私にはそうとは思えません。
おばあさまはご自分の意思であなたを一人で行かせたのです。
一緒に逃げたら2人とも助からないかもしれない、でもあなた一人なら絶対に助かる。
そう判断したからこそ、あなたの背中に乗ることを頑として拒絶したのでしょう。おばあさまは瞬時の判断力をお持ちでした。
その判断力は正しく、あなたは生き抜いた。おばあさまの意思の反映です。
人はどんな姿になろうとも、
外見で尊厳が損なわれることは決してありません。たとえ体育館で転がされるように横たわっていても、
おばあさまは凛とした誇りを持って生を全うされたと思います。おばあさまの素晴らしさはあなたの中に受け継がれていることを忘れないでください。
おばあさまが生きていたらかけたい言葉、してあげたいことを、
周りに居る人たちにかけたり、してあげたりして下さい。そのようにして生き抜くことが憧れだったおばあさまの心を生かす道に思えます。