京都市伏見区桂川河川敷で、認知症の母親を殺害して
無理心中を図ったとみられる事件の初公判が行われた。
事件内容は認知症の母親の介護で生活苦に陥り、
母と相談の上で殺害したというもの。
K被告は母を殺害した後、自分も自殺を図ったが発見され
一命を取り留めたとのこと。
K被告は両親と3人暮らしだったが、1995年に父が死亡。
その頃から、母に認知症の症状が出始め、一人で介護した。
母は2005年4月ごろから昼夜が逆転。
徘徊で警察に保護されるなど症状が進行した。
K被告は休職してデイケアを利用したが
介護負担は軽減せず、9月に退職。
生活保護は、失業給付金などを理由に認められなかった。
介護と両立する仕事は見つからず、
12月に失業保険の給付がストップ。
カードローンの借り出しも限度額に達し、
デイケア費やアパート代が払えなくなり、
2006年1月31日に心中を決意した。
その日の朝、この日までに払わなくてはならない
アパートの家賃3万円はどこにもなかった。
手持ちの現金はわずか7000円ほど。
K被告は親族に相談することもなく、
自分たちに残された道は「死ぬこと」しかないと思った。
K被告は自宅アパートをきれいに掃除をして、
親族と大家宛ての遺書と印鑑をテーブルに置いた。
その間、K被告は何度も母親に
「明日で終わりなんやで」と話しかけている。
最後の食事はコンビニで買ってきたパンとジュース。
二人で分け合って食べた。
電気のブレーカを落とすと、
K被告はリュックサックに死ぬための
ロープ、出刃包丁、折りたたみナイフを詰めて、
車いすの母と2人アパートを出た。
2人が向かったのは、三条の繁華街だった。
K被告がどこに行きたいかと尋ねて、
母親が「人の多い賑やかなところがいいなあ」
と答えたからだった。
1人300円の運賃を払って淀駅から京阪電車に乗り、三条京阪駅に着いた。
駅を出ると鴨川が流れている。
2人はしばらくこの川のそばで時間をつぶしている。
やがてにぎやかな新京極通りをに向かった。
この通りの入口にそば屋がある。
K被告がまだ子どもの頃、親子3人で食事をしたことのある店だった。
しかし手持ちの金が多くないため、食事はしなかった。
夜、母子は伏見にいた。
もう戻ることのできないアパートの近く、桂川の河川敷。
次にどこへ行きたいかと聞かれて、
母親が「家の近くがええな」と言ったからである。
午後10時のことだった。
2月1日。厳しい冷え込み。
K被告は車椅子の母に防寒具をかけてやった。
それから何時間か過ぎた。
「もうお金もない。もう生きられへんのやで。これで終わりやで」
K被告は泣きながら目を覚ましたばかりの母に語りかけた。
母親は「すまんな」「ごめんよ」と泣きじゃくる息子の頭を撫で、
「泣かなくていい」と言った。
「そうか、もうアカンか、やすはる(K被告の名)
一緒やで。お前と一緒やで」
「こっち来い。こっち来い」
母に呼ばれたK被告が近づいたところ、額がぶつかった。
「やすはるはわしの子や。わしの子やで。
(お前が死ねないのなら)わしがやったる」
その母の言葉にK被告は「自分がやらなければ・・・・」と思った。
そして意を決し、車いすのうしろにまわってタオルで母親の首を絞めた。
絞め続けた後、苦しませたくないために首をナイフで切った。
K被告は遺体に毛布をかけた後、
包丁と折りたたみナイフで自分の首、腕、腹を切りつけ、
近くにあったクスノキの枝にロープをかけ首を吊ろうとしたが失敗した。
「土に帰りたい」と走り書きした
ノートの入ったリュックサックを抱いて、
冷たい雨の降るなか虚ろな表情で佇んでいた。
通行人によって2人が発見されるのは午前8時ごろのことである。
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冒頭陳述の間、K被告は背筋を伸ばして上を向いていた。
肩を震わせ、眼鏡を外して右腕で涙をぬぐう場面もあった。
裁判では検察官がK被告が献身的な介護の末に
失職等を経て追い詰められていく過程を供述。
殺害時の2人のやりとりや、
「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」
という供述も紹介。
目を赤くした東尾裁判官が言葉を詰まらせ、
刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、
法廷は静まり返った。
裁判の中でK被告は、
「私の手は母を殺める(アヤめる)ための手だったのか」
と言葉を残した。
東尾裁判官はK被告に対し、次のように告げた。
「尊い命を奪ったと言う結果は取り返しのつかない重大だが
経緯や被害者の心情を思うと、
社会で生活し自力で更生するなかで冥福を祈らせることが相当
被告人を懲役2年6ヵ月に処する…」
そして続けてこう言った
「…この裁判確定の日から3年間 その刑の執行を猶予する」
殺人(承諾殺人)で異例の執行猶予つきの判決を言い渡たされた。
そして被害者(お母さん)の心情に対し
「被害者は被告人に感謝こそすれ、
決して恨みなど抱いておらず
今後は幸せな人生を歩んでいけることを
望んでいるであろうと推察される」
判決の後、K被告に裁判長が
「絶対に自分で自分をあやめる事のないように
お母さんのためにも、幸せに生きてほしい」
と語りかけた。
K被告は深々と頭を下げ「ありがとうございました」と言った。
K被告に言い渡した後に東尾裁判官はこう言葉を残した
「本件で裁かれるのは被告人だけではなく、
介護保険や生活保護行政の在り方も問われている。
こうして事件に発展した以上は、どう対応すべきだったかを
行政の関係者は考え直す余地がある。」
参考サイト:http://kokorodo.net/e1538
http://matome.naver.jp/odai/2139408194432080201
※なお判決を受けたこの男性(当時62歳)は、2014年8月、大津市の琵琶湖で命を落としました。親族の話によると、自殺とみられるとのこと。