五体不満足の乙武さん、誕生時のお母さんは・・・

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まれつき両手両足の無い『五体不満足』の
あの乙武洋匡(おとたけひろただ)さん。

活動の中で色んな評価を受けながらも、
これだけの肉体的ハンディを抱えてなお、
その明るさと、意志の強さなどに、
多くの人が一目置かざるを得ないようです。

乙武さんが物心つき、
そして成人するまでのことを想像することがあります。

もし、自分が乙武さんだったら、
または自分が乙武さんの親だったら、
今日の乙武さんのような生き方ができるだろうか、
親として、子を乙武さんのような人間性に成長させることができるだろうか。

ご両親の子育てに投じた労苦を思うとき、
凡人の私は、ふーーーっと深いため息を漏らしたくなります。

そんな乙武さんが生まれた日の有名なエピソードです。

【五体不満足】のまえがきより、多くを引用しています。

「オギャー、オギャー」

火が付いたかのような泣き声とともに、ひとりの赤ん坊が生まれた。

元気な男の子だ。

平凡な夫婦の、平凡な出産。

ただひとつ、その男の子に手と足がないということ以外は。

《中略》

母とボクは1ヶ月間も会うことが許されなかった。

それにしても、母はなんとのんびりした人なのだろう。

黄疸が激しいという理由だけで、
自分の子供に1ヶ月間も会えないなどという話があるだろうか。

対面の日が来た。

病院に向かう途中、息子に会えなかったのは、
黄疸が理由ではないことが告げられた。

やはり、母は動揺を隠せない。

結局、手も足もないということまでは話すことができず、
身体に少し異常があるということだけに留められた。

《中略》

病院でも、それなりの準備がされていた。

血の気が引いて、その場で卒倒してしまうかもしれないと、
空きベッドがひとつ用意されていた。

父や病院、そして母の緊張は高まっていく。

いよいよ僕と母との最初の出会いの時である。

皆がかたずを飲んで、母の様子を見守った。

そして「その瞬間」は、意外な形で迎えられた。

……母の口をついて出てきた言葉は、
そこに居合わせた人々の予期に反するものだった。

その言葉とは・・・>>>

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の口をついて出た言葉、
それはこうだった。

「かわいい」
「なんて可愛い子なんでしょう」

……母の口をついて出てきた言葉は、
そこに居合わせた人々の予期に反するものだった。

泣き出し、取り乱してしまうかもしれない。

そういった心配は、すべて杞憂に終わった。

自分のお腹を痛めて産んだ子どもに、1ヶ月間も会えなかったのだ。

手足がないことへの驚きよりも、
やっと我が子に会うことができた喜びが上回ったのだろう。

生後1ヶ月、ようやくボクは「誕生」した。

いかがでしょうか?

このエピソードを聞いた当時の日野原重明先生はこう言いました。

「よくぞ、『かわいい』などという言葉が出たものです。
 この親にして、この子ありではないでしょうか。
 よほどお母さんは肝の座った方であり、
 こんなお母さんと、そのパートナーであるお父さんだからこそ、
 乙武さんのような青年に人間形成できたのです」

参考文献

『五体不満足』 講談社文庫 著者 乙武洋匡(おとたけひろただ)

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