よく売れましたね。
これ、洋七さんのおばあさんの逸話を耳にしたビートたけしさんが、
最初に書籍化を強く勧めたそうです。
たけしさんがピンとくるほど、確かにこのおばあちゃん、
読めば読むほど、聞けば聞くほど、ただ者じゃありません。
洋七さんが小学2年から中学を卒業するまで、
一緒に生活したおばあちゃん。
たとえばこんな感じです。
この頃の日本の平均的な家庭でも、多くの家庭は貧しかったのですが、
洋七さんのお宅はひときわ貧しかったそうです。
有名な話ですが、
川の上流から流れてくる野菜を拾って食べていたくらいで、
しかもそれが貴重な栄養源だったのです。
でもばあちゃんは、いつも笑っていました。
家にもよく人が来て賑やかでした。
ばあちゃんの名言をひとつ。
「貧乏には二通りある。暗い貧乏と明るい貧乏。
うちは明るい貧乏だからよか」
また後ろ向きな人に対しては、
「時計が左に回ったら、壊れたと思って捨てられる。
人間も、昔を振り返らずに、前へ前へと進め!」
洋七さんは苦労人です。
吉本興業で働いていた若い頃は、
ご他聞にもれずお金に苦労の毎日でした。
劇場でお客様の食べ残しのにぎり寿司は、
洋七さんの定食のようなものだったそうです。
やがて漫才ブームに乗り、漫才で売れて、
人気も収入もたくさん得られた時期がありました。
でも漫才ブームが終わると、人気も収入も急降下です。
ちょうどそんな時、
洋七さんは佐賀のばあちゃんに会いに行きました。
「ばあちゃん、ホンマ、人生山あり谷ありやな」
そうこぼす洋七さんに、ばあちゃんは言いました。
「おまえは、山の意味を分かってないよ」
どういう意味だったのでしょうか?
ばあちゃん、さすがのお話です。お腹にストンと落ちます>>>
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ばあちゃんの話はこう続きます。
山の頂上は人の住むところじゃない。
頂上まで行ったら、記念写真を撮って、下りてくるもんや。
人間、いつもは谷に住んでるやろ。
谷にはきれいな水が流れてるし、動物も集まって、花も咲く。
谷にいて、少し休んだら、またもっと高い山に挑戦しなさい。
…おおむね、そんなふうに洋七さんは諭されたそうです。
いかがでしょうか。
おっちゃんは、ほんまにこのばあちゃんはガバイ!と思いました。
洋七さんは、その後しばらく休んだ後、
くしくもばあちゃんを題材に置いた手記を執筆し、
次の山に向けて歩を進めることになったのでした。