昔のイクメンにはまだ逆風が吹いていました

b099
供の頃の記憶です。

小さい頃、両親が共働きだったため、
私は保育園に通っていました。

今は結構遅くまで預かってくれますが、
20年以上前は、早い時間に親の迎えがありました。

3時くらいから、お迎えが始まり、
そこから一人、二人と園児の数が減っていき、
4時くらいには、園内に園児は誰もいなくなりました。

私を除いては…。

それもかなりの頻度だったようです。
私だけ一人の時間が30分以上。

そういう状況なので、先生も一人だけ
私のために残っています。

第一次反抗期というのでしょうか。

私は子供なりに、そのことが悔しくて、
父親が迎えに来ると、わざと帰りたくない、
とすねていました。

父親の迎えは、車のエンジン音や
何となく気配で感じとれました。

父が近づいてくるのが分かってて、
先生に隠れんぼをせがみ、

先生に見つかっても、

「お父さんに会いたくない」

「帰りたくない」
と父を困らせていました。

時は流れ、いま私は当時の父と同じように、
保育園に子供を迎えに行っています。

7時までに行けば大丈夫なのに、
それでもつい遅れてしまう私です。

でもうちの子は、

『おとーさぁーん』

とキチンと逆お迎えしてくれるのです。

『今日は、○○をした』とか

『家に帰ったら、一緒に遊ぼうね』
と話しかけてくれます。

それに幸せを感じるたび、
あの時の寂しそうな父親の顔と、
それに同情する先生を思い出すことが多くなりました。

最近、母親と保育園のお迎えについて
話す機会がありました。

大人になって、ちょっと考えれば気づくことなのに、
その頃の父親の骨折りに無関心でした。

父親の骨折りとは、こんなことです>>>

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の当時、父親は保育園のお迎えで、会社を一時抜け出し、
母親の帰宅後に、また会社に戻るという生活をしていたのです。

当然と言えば当然ですが、当時の会社環境からすれば、
父の評価はかなり悪くなり、それが原因で
会社にも居づらくなったそうです。

結果、会社を移ったという話も聞きました。

まあ父が転職をしたことは知っていましたが、
よもや、私のことが原因だとは思いませんでした。

愕然としましたし、
これはさすがに、その頃のことを
父に詫びなきゃいかんなと思いました。

ただ、帰省中の実家で、
わざわざそんな話題を蒸し返すのも、
何だか不自然だし、近くの焼き鳥屋に
父を誘い出すことにしました。

父と盃を酌み交わすなど、
成人式以来、10年以上ぶりのことです。

あまり良い父子関係ではなかった私たちでした。

当時の話題を切り出すのに、
とりあえず、酒の力を借りざるをえませんでした。

酔っ払った者勝ちと先に酒をあおり、
酔っ払った上でも、遠回りをしながらやっと、

「あの時は悪かったね」と言えました。

父は「何が…?」とも聞き返さず、
涙目になりました。

軽い泣きのモードに入ったのでしょうか。

去年還暦、それまでそんな親父を
見たことがなかったから、
はからずも、こっちまで涙目に…。

たぶん、1~2分のことでしょうか、
しばらく無言で、ラジオの音だけで
ビールを飲んでいたら、親父から、

「お前も(父親として)大変だろう。
 がんばれよ」
って言われました。

『やばい、泣きそう』と思ったから、
ラジオの話に集中しようとしたり、
明日の朝めしのこととか考えようとしました。

続けて父が言いました。

「子に分かってもらうということは…
 嬉しいもんだ」

こんな感じだったのです。

父は照れ屋だから、間に「ウー」とか「アー」とか、

それに入れ歯でもあるから、
意味不明な音声まで入りましたが…。

それもあって、よけいに父の年を感じ、
謝るのが間に合って、本当に良かったと思います。

次は自分の番だなと思っています。

正直、会社を早く切り上げての
『保育園のお迎え』を面倒だと感じることもありました。

でも世の中がまだ「イクメン」に無理解だった頃、
親父が私のためにやれたこと、
それを私が自分の子のためにやれずにどうするか。

ささやかですが、あらためてそう思いました。

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