小さい頃、両親が共働きだったため、
私は保育園に通っていました。
今は結構遅くまで預かってくれますが、
20年以上前は、早い時間に親の迎えがありました。
3時くらいから、お迎えが始まり、
そこから一人、二人と園児の数が減っていき、
4時くらいには、園内に園児は誰もいなくなりました。
私を除いては…。
それもかなりの頻度だったようです。
私だけ一人の時間が30分以上。
そういう状況なので、先生も一人だけ
私のために残っています。
第一次反抗期というのでしょうか。
私は子供なりに、そのことが悔しくて、
父親が迎えに来ると、わざと帰りたくない、
とすねていました。
父親の迎えは、車のエンジン音や
何となく気配で感じとれました。
父が近づいてくるのが分かってて、
先生に隠れんぼをせがみ、
先生に見つかっても、
「お父さんに会いたくない」
「帰りたくない」
と父を困らせていました。
時は流れ、いま私は当時の父と同じように、
保育園に子供を迎えに行っています。
7時までに行けば大丈夫なのに、
それでもつい遅れてしまう私です。
でもうちの子は、
『おとーさぁーん』
とキチンと逆お迎えしてくれるのです。
『今日は、○○をした』とか
『家に帰ったら、一緒に遊ぼうね』
と話しかけてくれます。
それに幸せを感じるたび、
あの時の寂しそうな父親の顔と、
それに同情する先生を思い出すことが多くなりました。
最近、母親と保育園のお迎えについて
話す機会がありました。
大人になって、ちょっと考えれば気づくことなのに、
その頃の父親の骨折りに無関心でした。
父親の骨折りとは、こんなことです>>>
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あの当時、父親は保育園のお迎えで、会社を一時抜け出し、
母親の帰宅後に、また会社に戻るという生活をしていたのです。
当然と言えば当然ですが、当時の会社環境からすれば、
父の評価はかなり悪くなり、それが原因で
会社にも居づらくなったそうです。
結果、会社を移ったという話も聞きました。
まあ父が転職をしたことは知っていましたが、
よもや、私のことが原因だとは思いませんでした。
愕然としましたし、
これはさすがに、その頃のことを
父に詫びなきゃいかんなと思いました。
ただ、帰省中の実家で、
わざわざそんな話題を蒸し返すのも、
何だか不自然だし、近くの焼き鳥屋に
父を誘い出すことにしました。
父と盃を酌み交わすなど、
成人式以来、10年以上ぶりのことです。
あまり良い父子関係ではなかった私たちでした。
当時の話題を切り出すのに、
とりあえず、酒の力を借りざるをえませんでした。
酔っ払った者勝ちと先に酒をあおり、
酔っ払った上でも、遠回りをしながらやっと、
「あの時は悪かったね」と言えました。
父は「何が…?」とも聞き返さず、
涙目になりました。
軽い泣きのモードに入ったのでしょうか。
去年還暦、それまでそんな親父を
見たことがなかったから、
はからずも、こっちまで涙目に…。
たぶん、1~2分のことでしょうか、
しばらく無言で、ラジオの音だけで
ビールを飲んでいたら、親父から、
「お前も(父親として)大変だろう。
がんばれよ」
って言われました。
『やばい、泣きそう』と思ったから、
ラジオの話に集中しようとしたり、
明日の朝めしのこととか考えようとしました。
続けて父が言いました。
「子に分かってもらうということは…
嬉しいもんだ」
こんな感じだったのです。
父は照れ屋だから、間に「ウー」とか「アー」とか、
それに入れ歯でもあるから、
意味不明な音声まで入りましたが…。
それもあって、よけいに父の年を感じ、
謝るのが間に合って、本当に良かったと思います。
次は自分の番だなと思っています。
正直、会社を早く切り上げての
『保育園のお迎え』を面倒だと感じることもありました。
でも世の中がまだ「イクメン」に無理解だった頃、
親父が私のためにやれたこと、
それを私が自分の子のためにやれずにどうするか。
ささやかですが、あらためてそう思いました。