昨日の東京五輪、柔道男子73キロ級の大野将平(29=旭化成)が連覇を達成しみごとに金メダルを獲得しました。以下の記事は5年前、リオ五輪のときに書いた記事でした。相変わらずブレない大野選手にあらためて敬意を払いたいと思います。
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リオ五輪で、静かながらすごい存在感を見せた選手がいます。
柔道男子で、2大会ぶりの金メダルを日本にもたらした大野将平選手(24歳)です。
現地ブラジルのファンを始め、
多くの国の方々から「サムライ」との呼び名を受けました。
決勝に至るまでの多くの戦いを、
すべて異なる技の一本勝ちで決めてきました。
その素晴らしいキメ技による「サムライ」の評価でしょうか?
どうもそればかりではないようです。
大野選手の試合の様子を見ていますと、
あることに気づきます。
本人の弁では「美しい柔道」を心がけているとのことです。
「礼に始まり、礼に終わる」
大野選手は、形ばかりの礼ではなく、
競技者として相手を思う「礼」でありたいと考えています。
その表れとして、勝敗を分け最後の礼を終え、
畳の上を降りるまで、ニコリともしません。
まして、ガッツポーズなども決してしません。
そのことについて、大野選手はこう語っています。
「対戦競技だから、相手のことを考え、
相手に対して敬意を払いたい」
勝負の世界だから、勝ち負けに対しては、
大きな明暗が分かれます。
こみ上げてくる喜びが、自然にガッツポーズとなって表れる。
そのことで良し悪しの問題は言えません。
これもまたごく自然なふるまいだと思います。
ただ、オリンピックという国際的な場で、
大野選手のふるまいに、多くの人が美しさを見いだし、
「サムライ」という評価を与えた。
それはお国を問わず、
相手を尊重する姿勢への共感が生まれたからだと思うのです。
この話を聞き、もう一人の美しいアスリートのことを思い出しました。
元プロ野球選手のこの人です>>>
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ファンの大歓声が湧き上がる中、
勝負を大きく決めるホームラン。
ベースを回る間も、決してガッツポーズなど見せず、
ただ淡々と走る選手がいました。
元ヤンキースの松井秀喜さんです。
松井さんの場合も、競技相手としての相手投手への尊重から、派手な喜びのパフォーマンスをしませんでした。
全力で勝負したもの同士、そこは紙一重の差で別れる勝負です。
その時、打ち勝った投手への「勝ちのポーズ」を示すことは、
相手のファンへの思いやりにも欠ける。
松井さんは、そう思っていたそうです。
さて、お話しを大野選手に戻します。
まだ24歳と若い大野選手が、
なぜそのような「美しい柔道」にこだわるのか。
そこには、ひとつの理由が考えられます。
相手への配慮や尊重に至る人には、
多くの場合、大きな挫折やつまづきの経験が伴うようです。
大野選手の場合は、天理大学の主将時代にこんな事件がありました。
天理大学柔道部4年生の男子部員による、
1年生部員複数に対しての暴力事件が明らかになりました。
大学側はこの件で柔道部部長と監督を解任するとともに、
大野選手の主将の立場も解任させました。
柔道部に対しても再発防止策が確認されるまで、
無期限の活動停止処分を下すことになったのです。
大野選手は暴力の当事者ではなかったものの、
「(暴行を)止められず、ふがいない。申し訳ない」と謝罪しました。
その後の大野選手は、当時の師範の方によると、
「すべてに投げやりになった。やめると言い出し、
もう戻ってこないかと思った」そうです。
しかし、3カ月間の活動停止中に、
柔道を出来ない苦しさが骨身に染みた大野選手。
その間、先人の書物や偉大な先輩選手の書物に目を通し、
主に、メンタル面での修行を積んできました。
今となっては、あの時の柔道の出来ない苦しさが、
今の自分の血肉になっているとまで述べています。
自分の身をもって体感した辛さにより、
相手の辛い心情にも敬意を払う。
そんな精神が、時間を重ねて、大野選手の中に宿ったのかもしれません。
リオのオリンピック選手村では、
道に落ちたペットボトルを、さりげなく拾っていく大野選手の姿が、
多くの人から目撃されました。