普通、一般に先生は患者さんに謝りませんが…

これは、現在「神の手」とも呼ばれる
ある脳神経外科医の先生の手記です。

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田脳血管研究センターの伊藤善太郎先生から
学んだことは沢山あります。

まず伊藤先生に接していて、最初のうち
最も違和感があったこと…。

それは、患者さんが亡くなると、深々と頭を下げて、
「力及ばず申し訳ございませんでした」
と謝ることでした。

それまで、患者さんに謝るなんて言葉は、僕の辞書にはなかったのです。

僕は伊藤先生に言いました。

「重症で手の施しようのない患者さんに対してまで、
 そうやって謝ったら、こっちに落ち度がないのに、
 医療ミスのようにとられませんか?」

すると伊藤先生は、こうおっしゃったのです。

「それは医者の論理だろう。医者にはダメだと分かっても、
 患者さんの側には分かるわけがない。
 助けてほしいから来てるんだよ。
 俺たちに力がないから助けられないんだよ」

衝撃を受けました。

その時の伊藤先生の言葉は、今でも忘れません。

それから、

「目線の高さを変えるな」とも言われました。

「患者さんは人生を懸けて、手術台に上がるんだ。
 俺たちは何を懸ける。
 お前のプライドを懸けるんだ。
 医者としての全てのプライドを懸けろ。
 それしか患者さんの信頼に応える方法はないんだ」

普段は温和な伊藤先生が、その時ばかりは、
鬼気迫るばかりの表情でした。

伊藤先生は、44歳の若さで亡くなられましたが、
先生のバトンを本当の意味で受け取れたのは、
もう少し後のことでした。

その後、大学に戻って、
ある脳腫瘍の患者さんの手術を行ってからだと思います。

その患者さんは、何度も開頭手術をしたけど、
なかなか腫瘍が取れない、そんな症例でした。

僕とは妙に気が合う患者さんでした。

大変難しい症例ではありましたが、
何とか助けてあげたいと強く思っていました。

手術内容は、腫瘍に通じる内頚動脈から、カテーテルを通して、
特殊な接着剤を入れ、腫瘍を固めて壊死させる、
という特別なものでした。

手術は順調に進み、終盤に差し掛かって
いよいよ接着剤を注入する段階にきました。

4ccほど問題なく入りました。
そこで止めればよかったのです。

しかし、腫瘍が大きかったので、さらに接着剤を注入したのです。

その瞬間、接着剤がよそに流れ込まないように留めていた
2本のクリップが開いたのだと思われます。

接着剤は全部脳幹に流れていきました。
顕微鏡を見て分かりました。

「あっ、これはダメだ!」と。
あの時の感覚は生涯忘れません>>>

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空気が凍りついたというか、
時間が停止して、違う次元へ飛んでいったというか。

もう手術室にも、自分の個室にも、
どこにも行き場が無いんです。

脳裏には手術前の彼の笑顔が浮かんでいました。

「俺には独り立ちできていない子供が二人いるから、
 まだ死にたくないんだ。

 俺、先生に任せるから頼むよ

自分の愚かさが歯がゆくて、悔しくて……

そのままご家族のところに行き、
土下座して謝りました。

奥様は泣いたままでした。

ご長男が涙を拭きながら言ってくれました。

「……父は先生のことが好きで、
 先生を信頼して、手術を受けると言いました。
 父の信じる先生が、
 一生懸命やってこうなったんだから、
 悔しいけど、仕方ありません」

あの時ですよ。
伊藤先生の言葉の重さを、本当に理解できたのは。

患者さんは、命を懸けて僕たちを信頼する。
手術前に遺書を書く人もいますが、
患者さんはそのくらいの覚悟で、手術台に乗るんです。

医者にも、それと同等の覚悟が要るんです。

「先生に任せるから」
と言ってくれた彼の悔しさが、
僕にはどうしても忘れられません。

今でも、あの笑顔が脳裏から離れません。
だから僕は手を抜けないんです。

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