高度成長期に、日本経済の屋台骨を支えたというか、足腰を鍛えたというか、
財界から、日本の官界・政界に向けて、すごい影響力を発揮した人です。
この人は多くの通り名を持っていました。
「ミスター合理化」「荒法師」「怒号敏夫」「行革の鬼」「めざしの土光さん」。
4つ目までは、仕事面でおっかなそうな異名です。
5つ目の「めざしの土光さん」、
この異名は、最も土光さんのプロフィールをよく表わしているようです。
どんなに偉い地位に立っても、豪華な住まいや派手な生活を求めず、
質素な暮らしに徹した人でした。
妻と2人きりでとる夕食の風景で、
メニューはメザシに菜っ葉・味噌汁と軟らかく炊いた玄米。
ここから「めざしの土光さん」という通り名がついたそうです。
ただ、土光さんは、徒にケチケチ生活を営んでいたわけではなく、
公人であるがゆえに、必要以上に居住いを質素に保っていたのです。
1954年(昭和29年)4月、そんな土光さんに思わぬ災難が降りかかってきました。
政財界を震撼させた「造船疑獄事件」が起きて、
土光さんは東京地検に逮捕されてしまいます。
当時、土光さんは、石川島重工業という造船会社の社長でした。
4月2日午前6時半、東京地検の捜査官は、横浜市鶴見区の土光宅にやってきました。
土光さんの寝込みを襲う作戦でした。
疑うのが検察の仕事です。
しかし、そんな検事でも、土光さんは無実ではないかと思わせる「何か」があったのです。
その何かとは>>>
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検事は土光宅を見て驚きます。
「これが一流企業の社長の家か」
門を叩くとエプロン姿の女の人が出てきました。
検事はてっきりお手伝いさんだと思い、
「奥さんか社長さんはいませんか」
「私が土光の家内ですが、何か・・・」
「社長にお目にかかりたいのですが」
「主人は出かけたばかりでいません」
検事たちは青ざめました。
てっきり捜査の手が伸びたのを感づかれて、逃げられたと思ったのです。
「どこに行きましたか?」口調を厳しくしました。
「会社です」
「えっ、こんなに早く、会社に車で・・・」
「とんでもない。今出かけたばかりですから、
近くのバス停でバスを待っているかも知れません」
検事たちは慌てて近くのバス停に向かいました。
そこに土光さんは立っていました。
それが石川島重工業の社長だとは信じられませんでした。
土光さんは、バスで鶴見駅まで出て、国鉄に乗り換えて
東京駅まで通勤していたのです。
この当時、本来ならば、大企業の大社長ですから、
まさか公共交通を利用しているなど想定外だったのです。
そんな土光さんの姿を見て、心ある検事は
「この人はやってないと直感した」といいます。
土光さんは逮捕され、拘置所に21日間収容されます。
東京拘置所に収監された土光さんは、厳しく取り調べられましたが、
質問に対しては毅然として迎合せず、必要なことを的確に述べたそうです。
誠に立派な態度であったとの後日談があります。
土光さんは、当然不起訴となりましたが、
「ボクは何も悪いことをしていないから、
家宅捜索を受けようが身柄を拘束されようが、全く不安はなかった」
「しかし人生どんな思いがけない出来事が待ち受けているかわからない。
日ごろから厳しく公私のけじめをつけ、
いやしくもその行動を疑われるようなことがないようにしなければならない」
この事件以来、土光さんは、公私の区別をより厳しく行うようになったそうです。
経団連会長時代にも、やはり通勤スタイルは変わらなかったというから驚きです。
土光さんが土台作りを行った東芝において、現在の経営に携わる方々、
また公私混同で追及されがちの政治家・官僚などには、「喝!」となるお話です。